再建と資金調達の促進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 21:36 UTC 版)
「聖母教会 (ドレスデン)」の記事における「再建と資金調達の促進」の解説
教会を再建しようという意志は、第二次世界大戦が終わる最後の数か月の間すでに存在した。しかし東ドイツの政治的な事情により再建は遅れ、中断するに至った。聖母教会の瓦礫の山を含むドレスデン市の中心部は戦没者記念碑として保全されることになったが、これは1940年にドイツの爆撃により破壊され、イギリスの戦没者記念碑とされたコヴェントリー大聖堂(en)と対をなすものと位置づけられた。廃墟が劣化し続けたため、ドレスデン市はゼンパー・オーパーの復興がようやく完了した1985年、聖母教会をドレスデン城(de)の再建の後に建て直す決定をした。 ドイツ再統一後、活動は再燃した。1989年、ドレスデンの著名な音楽家ルードヴィヒ・ギュトラーをリーダーとする14人の熱心なグループは市民機構を結成した。このグループが1年後「聖母教会復元」となったが、これは積極的な個人の資金調達活動から始まった。この団体はドイツとその他の20カ国で会員が5,000人を越えるまでに成長した。ドイツで同系列の援助グループが結成され、国外でも宣伝活動を行う組織が3つ設立された。 再建計画は勢いを増した。何百人もの建築家や美術史家、そして技術者が新しい建築物に再利用するために、それぞれの破片を識別し、付票をつけ、数千もの石を分類した。彼ら以外のメンバーは資金を調達する仕事に従事した。 ドイツ生まれのアメリカ人ギュンター・ブローベルは少年のころ、難民となった彼の一家が、爆撃される数日前にドレスデンのすぐ外の町に避難した際、聖母教会のオリジナルを見ていた。1994年、彼はドレスデンの美観および建築遺産の再建と維持の援助を目的とするアメリカの非営利団体「フレンズ・オブ・ドレスデン」(Friends of Dresden, Inc.)を設立し、代表取締役に就任した。1999年、ブローベルはノーベル生理学・医学賞を受賞したが、獲得した100万米ドル近い賞金をドレスデンの修復へ、聖母教会の再建と新しいシナゴーグ建設のため会社に全額寄付した。これは再建計画へ寄せられた個人の寄付の最高額だった。 イギリスではケント公を王室の後援者とし、コヴェントリー総主教(en)を責任者とする「ドレスデン・トラスト」(Dresden Trust)が創設された。コヴェントリー大聖堂の名誉司祭でドレスデン・トラストの創設者ポール・オーストライカー博士は「聖母教会はドレスデンにおいて、ロンドンのセント・ポール大聖堂のような存在なのだ」と記した。数ある国外援助団体の中には、フランスの「パリ聖母教会会」(Association Frauenkirche Paris)やスイスの「スイス聖母教会友の会」(Verein Schweizer Freunde der Frauenkirche)が含まれた。 聖母教会再建の費用は1億8000万ユーロだった。ドレスデン銀行は「献金証明書キャンペーン」によってこれの半分以上の資金を調達し、1995年以降も7,000万ユーロ近くの募金を集めた。またドレスデン銀行は、100万ユーロ越える従業員の寄付を含む700万ユーロ以上を寄贈した。長年に渡って、聖母教会の小さな石の破片を封入した時計が何千個も販売されたが、それには特別な記章が印刷されていた。ある出資者は230万ユーロ近い金額を聖母教会の石の破片を記念品として販売することにより賄った。 資金は再建の施行主体であり、ザクセン州及びドレスデン市、ザクセン福音ルター派教会の支援を受ける「ドレスデン聖母教会基金」へ引き継がれた。
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