再建と稚児人形「嘉多丸君」とは? わかりやすく解説

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再建と稚児人形「嘉多丸君」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/04 15:27 UTC 版)

函谷鉾」の記事における「再建と稚児人形「嘉多丸君」」の解説

かつて祇園祭の鉾(船鉾大船鉾を除くすべての鉾)には生身稚児乗っていたが、21世紀初頭現在は長刀鉾除いて稚児人形乗せられている(祇園祭#稚児参照)。最初に稚児人形乗せたのが、天保10年1839年)に再建され函谷鉾であった当時函谷鉾町には町人少なく南側松平阿波守(徳島藩蜂須賀家屋敷北側鴻池家宅地であった)、また鉾の再建のために資金投じたために稚児乗せるのに必要な費用捻出難しかったこのため木偶による人形稚児をもって稚児とする旨を願い出てしばらくの間許可された。かつて函谷鉾町住人であった大仏師七条左京人形作成依頼したが、七条左京前例がなかったために考えあぐね、御所参上した際に左大臣一条忠香相談したところ、忠香の子である幼少の嘉多丸(かたまる、のちの一条実良明治天皇皇后昭憲皇太后実兄にあたる)をモデルとすることが許可された。人形完成後、一条忠香人形に「嘉多丸」と命名し(町では「嘉多丸君(かたまるぎみ)」と敬称している)、衣装装飾品なども寄贈している。

※この「再建と稚児人形「嘉多丸君」」の解説は、「函谷鉾」の解説の一部です。
「再建と稚児人形「嘉多丸君」」を含む「函谷鉾」の記事については、「函谷鉾」の概要を参照ください。

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