再建と修正
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 04:48 UTC 版)
包囲の後、グランドマスターのジャン・ド・ヴァレットは半島に新しい都市を建設することを決定した。建設は1566年に始まり、フランチェスコ・ラパレッリが教皇から派遣され、要塞を設計した。廃墟となった聖エルモ砦は再建され、城壁の中に組み込まれた。 砦は17世紀に何度も改修された。ヴァンドーム要塞は1614年に建てられ、1687年に砦全体を囲む前浜にカラファ・エンセインテが建てられた。 17世紀後半には、砦はカヴァリエと直結し、溝の一部が埋められ、その過程で元の城壁の一部が埋められた。18世紀には、ヴァンドーム要塞に新しいポルベリスタが建設され、要塞とカラファ・エンセインテの間の地域に商店が建設された。これらはピント・ストアと呼ばれ、それらとその周辺地域はローワー・セントエルモと呼ばれる地域を形成している。 1775年9月8日、聖エルモ砦は13人の反乱牧師とセント・ジェームス・キャバリエによって占領され、「神父の反乱」として知られるようになった。騎士団の旗が下げられ、代わりに聖パウロの旗が掲げられた。騎士団はなんとか聖エルモを奪還したので、セントジェームスを支配していた反乱軍も降伏した。最終的に反乱軍は裁判にかけられ、3人が処刑され、他の者は追放されるか投獄された。処刑された3人の首は、セント・ジェームズ・キャバリエの角に飾られていたが、同年11月にエマニュエル・ド・ロアン=ポルデュック(英語版)がグランドマスターに選出されるとすぐに撤去された。
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