再建されたウルゲンチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 06:34 UTC 版)
1231年、モンゴル帝国のもとで破壊された旧市の南にウルゲンチは再建され、復興した。ホラズムはジョチ・ウルスの支配下に組み込まれ、14世紀にはウルゲンチは再びホラズムの中心都市として繁栄し、中央アジア屈指の大都市として栄えた。 しかし、その後アムダリヤ川の河道が北に遷移をはじめたため、河道から離れたウルゲンチは衰退し始めた。16世紀以来ホラズムを支配したヒヴァ・ハン国は17世紀にウルゲンチから北のヒヴァに遷都し、さらに繁栄を支えた水利をまったく失った旧ウルゲンチは都市としても放棄され、砂漠の中に取り残されて廃墟となった。ホラズム地方の分割の結果、ウルゲンチの遺跡は現在トルクメニスタン領に組み込まれている。
※この「再建されたウルゲンチ」の解説は、「ウルゲンチ」の解説の一部です。
「再建されたウルゲンチ」を含む「ウルゲンチ」の記事については、「ウルゲンチ」の概要を参照ください。
- 再建されたウルゲンチのページへのリンク