公営化後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 00:52 UTC 版)
「マサチューセッツ湾交通局」の記事における「公営化後」の解説
ボストン高架鉄道の事業拡大と、自動車の登場による利用客の停滞、低運賃政策は同社の財政を圧迫した。規制当局は様々な形で支援を行っていたが、路線施設とその運営は、1947年、ボストン市と周辺の自治体で設立したボストン都市圏交通局に引き継がれることになった。さらに、1964年には権限を都市の交通計画全般にまで拡大した、現在のMBTAが登場することになった。 公営化以降、路面電車路線のバス化と高架鉄道の地下鉄化が積極的に進められた。1953年には路面電車路線はトレモント・ストリート地下鉄に乗り入れる系統と、ハーバードスクエアに乗り入れる系統のみが残った。ハーバード・スクエアに乗り入れる路線は1958年にトロリーバス化されたが、これらの路線はボストンで現存する唯一のトロリーバス路線となっている。1959年には新たな地下鉄路線であるハイランド支線が開通した。この路線はボストン・メイン鉄道が使用していた軌道用地を転用したもので、利用客が多かったために車両を増備する必要に迫られた。グリーンラインの各支線のうち、プリーザント・ストリート・ポータル(Boylstonで分岐する延伸線)の最後の運行は1962年、A線と呼ばれるようになったウォータータウン支線の廃止は1969年で、アーバーウェイ線、すなわちE支線の部分廃止は1985年であった。 高架鉄道路線は視界を遮り、ボストンの曲がりくねった道の上を通るためにカーブが多く、高速鉄道としては問題が多かった。このため、アトランティック通り高架鉄道は1938年に廃止され、オレンジラインの一部であるチャールズタウン高架鉄道は1975年にルート変更の上地下化され、ワシントン通り高架鉄道は1987年に廃止され、バス専用道路が設けられた。2004年のグリーンラインの一部を構成していたコーズウェイ通り高架鉄道の廃止により、残存する高架鉄道はレッドラインの一部付近のみとなった。 ワンダーランドへ向かうレビア延長線(現 ブルーライン)は1952年から1954年にかけて開業した。この路線はかつて存在した狭軌のボストン・レビアビーチ・アンド・リン鉄道の軌道敷にそって建設されている。レッドラインのブライアンツリー支線は1971年から1980年にかけて建設された。レッドラインのエールワイフに向かうノースウエスト延長線は1984年の部分開業を経て1985年に全通した。 これらの近年の延長線は、単なる地下鉄の延長に留まらず、駐車場の設置を行う事によって、自家用車の都心への流入の抑制手段としての役割も併せ持つことになった。 2005年1月12日、メドフォードとサマービルの住民は、マサチューセッツ州に対して訴訟を行う意向があることを明らかにした。中央道路・トンネル計画が交通流動を変え、沿線に汚染と混雑をもたらすことがその理由である。現在MBTAはこの2都市に向けグリーンラインを延長する工事に着工している。
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