公営化、廃止までの過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 17:50 UTC 版)
「シカゴ・サーフェス・ライン」の記事における「公営化、廃止までの過程」の解説
1920年代以降、アメリカ合衆国の各地では自家用車やバスが発展し(モータリーゼーション)、従来の路面電車に対する大きな脅威となった。そんな中でもシカゴ・サーフェス・ラインの路面電車網は1933年 - 1934年に開催された万博や第二次世界大戦中の需要を始め多くの人々に利用され続け、1936年以降は高性能路面電車・PCCカーの大量導入が開始された。だが、増加する人件費や運営費の結果、シカゴ市内で公共交通機関を運営していた組織の多くは財政難に陥り、シカゴ・サーフェス・ラインを運営していたシカゴ鉄道は1926年に、シカゴ市街鉄道やカルメット・アンド・サウスシカゴ鉄道は1930年に事実上破綻した。その後各企業の資産は連邦地方裁判所の管理下に置かれ、複数の再建案が出されたものの、最終的に1944年にこれらの企業には破産法が適応される事となった。 これらの事態を受け、シカゴ市ではシカゴ・サーフェス・ラインを含むシカゴ市内を走る公共交通機関を公営組織によって統括する方針を打ち出した。その後、1945年にイリノイ州議会(Illinois General Assembly)でメトロポリタン交通機関法(Metropolitan Transit Authority Act)が可決された事を受け、シカゴ市は同年6月4日に公営企業のシカゴ交通局(Chicago Transit Authority, CTA)を設立した。そして、1947年にシカゴ・サーフェス・ラインは高架鉄道(シカゴ・L)を運営していたシカゴ高速交通(英語版)と共にシカゴ交通局が運営する路線となった。 公営化後、シカゴ交通局は交通機関の大規模な再編を実施し、高架鉄道(シカゴ・L)や路線バスの路線網拡大や近代化を推し進めた一方、路面電車やトロリーバスについては廃止する方針を打ち出した。既に1940年代初頭から路面電車の路線網は縮小を続けていたが公営化後はその動きが更に加速し、1957年の時点で残されていたのは僅か1系統、22号線のみとなった。そしてこの路線も1958年6月21日をもって営業運転を終了し、馬車鉄道時代も含めて100年近く運行していたシカゴ市内の路面電車の歴史は幕を下ろした。 シカゴ・サーフェス・ラインからシカゴ交通局へ継承されたトロリーバスについてはそれ以降も運行を続けていたものの、こちらも1973年5月25日をもって廃止されている。
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