中央道路
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中央道路
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中央横断道路とも呼ばれる。札幌 - 旭川 - 北見 - 網走を結ぶために開削された道路で、1887年(明治20年)の全道郡区長会議において示された「全道基幹道路の計画」の第1項で謳われた「札幌を起点として空知・上川から釧路・根室に至る道路」の一部にあたる。区間により、三笠市市来知 - 旭川間は上川道路(現在の国道12号に相当)、旭川 - 網走間は北見道路(現在の国道39号に相当)という道路名でもよばれる。ロシアの南下政策に対抗するために、明治政府が軍事道路として建設したもので、中央道路開削工事に際し不足する労働力を補うために網走監獄や空知集治監から囚人たちが駆り出された。不衛生な仮小屋暮らしと、足に鎖をつけた状態で酷使され続けた囚人たちの中から多くの犠牲者を出す惨状を招いたことから、一般に囚人道路といえば岩見沢以西を除く中央道路のことを指すことが多い。
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