天幕三次郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 09:41 UTC 版)
中央道路建設と同時期の1890年(明治23年)から、同地の留辺蘂川畔で清水三次郎という男(以下三次郎)が小屋で狩猟生活をしていた。彼は「天幕三次郎」の渾名で呼ばれていた。この名がついた経緯については、中央道路測量のテントを張った場所に住みついたことから三次郎が自称したとする説や、三次郎が天幕生活をしていたことからついた名とする説などがある。 三次郎は1897年(明治30年)頃には広い家を建て、同地で私設駅逓の役割を果たしていたが、1903年(明治36年)に同棲していた未亡人の連れ子であったお花という女性と駆け落ちし、六号野上(現在の遠軽町栄野)の駅逓で駅逓夫として働いた。 しかし、住民との間にお花とのうわさ話が広まり、1年後の10月に中央道路の郵便駅逓が廃止されたのを機に、瀬戸瀬にある沢(現在の隠れ沢)でお花と共に再び猟業生活を始めたが、三次郎は翌春までに熊の害に遭い死亡してしまったという。
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