天師道改革派と唐代の天師道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:18 UTC 版)
「小林正美」の記事における「天師道改革派と唐代の天師道」の解説
組織的な教団と体系的な教義を有していた仏教に対抗するため、劉宋の天師道改革派は、擬人化・神格化された「道」を老子(太上老君)および無極大道と同一視して(1)教主に据え、その教えを(2)三十六部尊経としてまとめた。この場合、「道教」とは「道(老子)の教え」という意味になる。このため、「道教」の難解な経典を理解できるのは知識人の貴族層に限られ、民衆は「道教」を理解するのが困難であった。つまり、「道教」は当初は貴族である知識人のための教えであって、民衆には信奉されなかったのである。そこでは風水などは否定されていた。さらに、天師道の経典と道士の授法のカリキュラムおよび位階制度を精密に研究した小林教授は、「上清派の伝承」と考えられていたものが実際には天師道の経典に取り込まれた「上清経の伝承」であったことを明らかにし、唐代において上清派は存在せず、天師道しか存在しなかったという説を提唱した。
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