全国的高速道路網建設に向けた政府・国会の動き
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「日本の高速道路」の記事における「全国的高速道路網建設に向けた政府・国会の動き」の解説
全国高速道路網整備の問題は、田中清一の運動以来、道路網整備の理念が先行していくとともに国会議員の政治活動にも巻き込まれていった。 1955年(昭和30年)6月、超党派の国会議員430名によって、中央・東北・北海道・中国・九州の自動車道の6本、合計約5000 kmを整備するため「国土開発縦貫自動車道建設法案」が提出される。 「自動車道」という文言は、建設省が推し進める戦前の自動車国道計画を意識した道路網の一環としての「高速道路」とは異なる概念として定義したものであり、既存の道路法に基づく一般道路とは異なり、道路運送法によって建設されるべき道路という思想が根底にあったため、国会審議と並行して建設省と運輸省の所管争いを伴った。 本法案は、赤石山脈を貫通する中央道建設上の技術的な問題をはらんでいたことと、道路運送法に準拠するという法的な問題を抱えたため、国会での法案成立まで5国会を経て約2年を要し、結局は原案にあった「別表」記載の路線通過位置を外して各自動車道の予定路線は別法律の定めによること、および、新たに既存の道路法上の道路の最上位に位置する「高速自動車国道」という概念が付け加えられて、建設省所管の道路法上の道路として1957年(昭和32年)4月に成立し決着をみた。「国土開発縦貫自動車道建設法」成立時には、建設計画として国土開発縦貫自動車道を含む「高速自動車国道法」も制定された。 国会では、中央自動車道と東名高速道路のどちらの建設を優先するか路線の選択に揺れている間、高速自動車国道建設の要望は全国各地で起こり、各路線ごとに道路建設法の単独立法が次々と成立していく状況を受けて、1966年(昭和41年)に政府起案の「国土開発縦貫自動車道建設法」一部改正法案とした「国土開発幹線自動車道建設法」が成立し、中央・東北・北陸・中国・九州のいわゆる縦貫五道を軸に、全国の都道府県を結ぶ32路線7600 kmの高速道路網が計画された。 しかしその後の社会的な交通状況の変化により、この計画が不十分だとして計画の見直しが行われることとなった。1987年(昭和62年)に修正変更が行われ、第四次全国総合開発計画の閣議決定により、高速道路43路線11,520 km、一般国道の自動車専用道路2,300 km、本州四国連絡道路180 kmの高速交通網から成る、全長14,000 kmの高規格幹線道路網が計画された。
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