全国的ヒットへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:56 UTC 版)
沖縄県外ではまず関西圏でヒットした。1976年春、大阪のラジオパーソナリテイの中村鋭一が沖縄旅行中にこの曲を聴いて気に入り、キダ・タローのアレンジで吹き込んで発売(テイチクレコード A-95)。このレコードのB面には日本語対訳篇(中沢修一訳)が収録されており、適度に沖縄語を残しながら、本来の語呂の良さを崩さずに対訳する秀作であった。同年、喜納自身も中村鋭一の番組『おはようパーソナリティ中村鋭一です』に出演して、「ハイサイおじさん」他数曲を演奏した。この時はスローテンポのヴァージョンであった。 全国的に知れ渡ったのは、1977年11月にアルバム『喜納昌吉とチャンプルーズ』収録の、沖縄民謡のテイストを残しつつもアップテンポのロック調にアレンジされたヴァージョン(編曲は矢野誠)である。アルバム『喜納昌吉とチャンプルーズ』は全曲ライブ録音されている。ライブ収録された場所は喜納が経営していた民謡クラブ「ミカド」だという。沖縄県発の全国区ヒット曲の走りともいえる。現在の沖縄県では新作の沖縄民謡として認知されている。 最初のレコードシングル盤は地元のマルフクレコードから出された(喜納昌吉と喜納チャンプルーズ名義)。その後メジャーデビューし、フィリップスレコードでも出された。マルフク盤とフィリップス盤の物はバージョンが違っており、マルフク盤はマルフクレコードが沖縄のローカルレーベルであるということもあって伝統的な沖縄民謡アレンジになっている。一方フィリップス盤は、先述したアルバム『喜納昌吉とチャンプルーズ』収録の沖縄民謡のテイストを残しつつもアップテンポのロック調にアレンジされたヴァージョンである。ジャケットにその頃ライブ音源を用いたシングル盤に記されていた「実況録音盤」とは記されてはいないが、アルバムと同じライブ音源を用いている。そのフィリップスから出されたメジャーシングル盤のジャケット画を描いたのは、赤塚不二夫である。なお、アルバム『喜納昌吉とチャンプルーズ』と同じイラスト(河村要助作)のジャケット違い盤も存在する。その後もリメイクバージョンが日本コロムビアからCDシングルで出されている。日本コロムビアは本作の最初のマルフクのシングル盤のレコードの製造元でもあり、シングル盤の袋も同社の物だった。
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