元弘の乱時の吉野城とその遺構とは? わかりやすく解説

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元弘の乱時の吉野城とその遺構

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 15:09 UTC 版)

吉野城」の記事における「元弘の乱時の吉野城とその遺構」の解説

吉野城全容に関して右図参考現在の地図参考にして作成したため、地形河川など当時のものとは異なっているので注意)。 元弘の乱の際に構築されたと伝えられるものとして六田丹治、一の坂、飯貝4つの城塁と大橋天王橋(または天皇)、丈之(または城之)のかった空堀がある。 このうち一の坂は従来吉野山への参道途中ということもあり遺構消滅している。また空堀も車が通行できるようにするため大橋天王橋鉄筋コンクリート製の架け替えられ一部埋め戻されている。丈之は完全に埋め戻され跡地を示す石碑のみ残っている。なお、飯貝城塁に関して関して室町時代後期1476年文明8年)に蓮如飯貝の地に一宇を建て、後に今の本善寺創建したが、後年にその背後にある六雄山に砦を構えたとある。また筒井順慶による吉野攻撃作戦では丹治城、飯貝城に吉野方武士門徒衆ら立て籠もったとあり、このうち飯貝城および本善寺焼かれたとあり、現在に残る飯貝丹治の城の遺構室町時代後期改修されたものと考えられている。 丈六平 - 現在の吉野神宮付近。広い台地になっており、神宮造営以前は「勝福寺」という寺があり身の丈、1丈6尺(4.85メートル)の蔵王権現祀った丈六山一蔵王堂」があったとされる吉野城遺構は無いが、二階堂軍勢がここに陣取ったとされる峯の薬師堂 - 吉野城遺構は無いが、今の村上義光の墓の北側にかつて峯の薬師堂があり、ここで幕府方武将親王装った村上義光の首を検分偽首と見破ってうち捨てたとされるセビ坂・黒門銅の鳥居 - 急坂途中黒門呼ばれる金峯山寺総門があり、さらに登る銅の鳥居がある。銅の鳥居1348年南朝正平3年北朝貞和4年)に高師直軍勢により焼かれその後再建された(時期不明だが、蔵王堂再建され1455年康正元年)頃と考えられる)。 金峯山寺 蔵王堂 - 1348年南朝正平3年北朝貞和4年)に高師直軍勢により焼かれたとあり、107年後の1455年康正元年)に再建蔵王堂その後焼失しており現在の1591年天正19年)に再建されたもの。 仁王門 - 蔵王堂北側にある門。下層延元年間1336年-1340年)、上層康正年間1455年-1457年)のものとされる二天門跡 - 蔵王堂南側にあった門。護良親王扮し村上義光がこの門で自害したとされる。「村上義光忠死之所」と記した石柱が立つ。 勝手明神 - 勝手神社。この付近から西の谷下り下市黒滝天川十津川へと抜けることが出来る。護良親王落ち延びた道と考えられる。また名賀生へと移る後村上天皇社前で歌を詠んだ『太平記』にある。現在の県道はのちに付けられたもので当時ルートとは多少異なる。途中村上義隆の墓がある。 火見 - 吉野城遺構見通し良い場所にあり吉野山一望でき、遠く竜門山地金剛山地見渡せ、のろし場として使われていたようである。近く昭和14年に建律され大塔宮仰徳碑がある。 ツツジヶ城(高城山) - 吉野城詰城として築かれたと伝わる。山頂部台地になっており現在は休憩所がある。北側の麓には牛頭天王社跡があり、ツツジヶ城の鎮守として創立されたと伝わる。 愛染宝塔 - 吉野奥の院で「安禅寺」と呼ばれる寺院があり、蔵王堂はじめ多数寺院宝塔があったとされる大塔宮護良親王吉野山最初に現れた場所でもある。ここより南は女人結界大峰山へと入っていく。また西の尾根沿いに行くと鳳閣寺があり、黒滝天川十津川下市へと抜けることが出来る。明治廃仏毀釈廃寺となり遺構残っていない。 金峯山寺総門黒門 銅の鳥居 金峯山寺仁王門 金峯山寺蔵王堂 金峯山寺蔵王堂前の4本の護良親王最期酒宴をしたと伝えられる 金峯山寺二天門

※この「元弘の乱時の吉野城とその遺構」の解説は、「吉野城」の解説の一部です。
「元弘の乱時の吉野城とその遺構」を含む「吉野城」の記事については、「吉野城」の概要を参照ください。

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