債権債務の再評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 03:54 UTC 版)
「ヴァイマル共和政のハイパーインフレーション」の記事における「債権債務の再評価」の解説
1925年の再評価法に基づく換算表日付ライヒスマルク金マルク1金マルクあたりのライヒスマルク1918年1月-6月 10 8.00 1.25 1918年12月 10 5.00 2.00 1919年6月 10 3.11 3.21 1919年12月 10 1.04 9.61 1920年3月 100 4.87 20.53 1920年12月 100 6.88 14.53 1921年8月 100 5.82 17.18 1921年12月 100 2.87 34.84 1922年7月 1,000 9.50 105.26 1922年11月 10,000 7.80 1,282.05 1923年7月23日 100万 9.89 101,112.23 1923年8月17日 1000万 9.81 1,019,367.99 1923年9月7日 1億 7.82 12,787,723.78 1923年10月3日 10億 9.21 108,577,633.00 1923年10月16日 100億 8.06 1,240,694,789.00 1923年10月22日 1000億 8.18 12,224,938,875.00 1923年11月5日 1兆 8.65 115,607,000,000.00 第一次世界大戦からその後のインフレーション期を通じて、労働者の賃金、株価、地価なども上昇したもののインフレーションには追い付かず、結果としてこれらの価値は戦前に比べて下落することになった。一方資本家はこうした負担が軽減されて利潤を蓄積することになり、特に大資本は中小資本を買収して巨大化が進んだ。インフレーションの被害はこうして立場によって異なることになり、特に公社債や預貯金など、確定利子付きの債権保有者は甚大な損害を被ることになった。天文学的な価値の下落により、こうした債権はほとんど無価値になってしまったためである。この問題について世論が沸騰し、裁判においても債務者はインフレーション前の額面金額の返済だけでは足りず、債務の再評価を行わなければならないとの判決が出るようになった。 最終的に、貸付金とその他の債券の再評価に関する1925年7月16日の法律(Gesetz über die Aufwertung von Hypotheken und anderen Ansprüchen、略してAufwertungsgesetze)により、1918年1月1日から1923年11月30日までの期間とそれ以降の期間についてのみ、パピエルマルクと金マルクの換算率を定めた。このためこの急速なインフレーションは、それまで認識されてきた額面価値の原則「1マルクは1マルクの価値がある」の原則を終わらせることになった。 換算表の計算に当たっては、ドル指数だけでなく卸売物価指数をかなりの部分で評価した。原則としてドイツ政府は、インフレ率が高い時期そしてハイパーインフレーションの時期を通じて概してドル指数と卸売物価指数が真の価格をおおむね指し示しているという市場志向の一連の論拠を採用した。これに加えて、価値再評価は金マルクの価値を算出するためにマルクと米ドルの換算率に結びつけられた。 一部の貸付金については最低5年間保持していたことを条件として、新しい通貨における額面の25パーセント増しに再評価され、実質的に旧パピエルマルクにおける価値の250億倍となった。同様に、一部の国債は額面の2.5パーセント増しに再評価されたが、賠償履行後に償還されることになっていた。 この法は当時の最高裁判所であるライヒ裁判所において異議を申し立てられたが、1925年11月4日にヴァイマル憲法109条、134条、152条、153条のドイツ国民の権利と義務の規定に照らしても合憲であると判決された。この件は、ドイツ法理学において違憲審査制の先例となった。
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