俳誌『シブキ』とは? わかりやすく解説

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俳誌『シブキ』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/05 21:04 UTC 版)

西村兵太郎」の記事における「俳誌『シブキ』」の解説

1905年(明治38年)5月25日創刊号発行編集発行人西村兵太郎(号笑波)発行所喜多郡長浜町長浜甲三六番地しぶき会出版部印刷所西宇和郡八幡浜町四四河野活版所定価一部七銭 『シブキ』の存在は、後世しばらくの間確認されていなかった。この俳誌出版されていることは、愛媛大学和田茂樹名誉教授指摘していたが、教授終戦直後古本屋手に入れた一冊(第二巻 第五号)のみしか見つかっていなかったためである。ところが、1978年(昭和53年)5月長浜高等学校重松省三教諭松山市垣生村上霽月邸にて12冊を発見した。これにより、現存するシブキ』は、以下の12種である。 明治三十八年六月発行 第一巻 第二明治三十八年七月発行 第一巻 第三明治三十九年二月発行 第一巻 第八明治三十年三発行 第一巻 第九明治三十九年五月発行 第一巻 第十明治三十九年六月発行 第一巻 第十一号 明治三十九年七月発行 第一巻 第十二号 明治三十九年九月発行 第二巻 第一明治三十九年十月発行 第二巻 第二明治三十九年十一月発行 第二巻 第三明治四十一月発行 第二巻 第四明治四十二月発行 第二巻 第五号重複1894年(明治27年)、松山発足した松風会俳句会を続けており、正岡子規がこれを指導した。そして新派俳句日本派俳句の『ホトトギス』が明治30年創刊され翌年東京へ移った子規死後地方俳壇なかでも松山子規残した松風会中心に村上霽月野間仙波花叟、森田雷死久などが俳句情熱注いで盛んに句会催され盛り上がりをみせていた。ところが、その作品発表の場としての俳誌がなかった。句会各地催されるが、印刷して公にするものが、地方には無かったのである。『シブキ』の発刊は、その穴を埋めるものとなった森西幽軒は「近々出版せらる、と聞きしより、寤寐忘る能はざりし雑誌しぶきは、今や親しく我梧上に相見ゆる事となれり。勿論初刊事とて僅々四頁に過ぎざる一小冊子なれば未だ主張綱領那辺存するやは得て聞くべからずといへども文学趣味擯斥追日酷なんとするの秋、雄々しく呱々の声を、若かも愛する我西予一角挙げしは、已に業に多とする所なり、何んぞ歓迎せずして可ならんや」と記している。 第一巻第九号には石川月が内藤鳴雪翁を東京自宅訪ねて、「翁曰く地方雑誌発刊はなかなか容易な事ではない」「ホトトギスのむかしは松山であるが、売数三百部に足らず為に廃刊とまでなりかかった虚子らが協議の上子規子に頼み東京に移すことになったが、すると今迄三百売れなかった雑誌一躍三千部の売数になって今年などの初刷五千部以上の売高だ。田舎発刊するの困難はこれで分る。君等もしっかりやり給へ」などの記事がある。 投句者及び撰者の中で注目すべき人物には、次のような人がいる。 内藤鳴雪島田五工、村上霽月野間仙波花叟、森田雷死久、峰青嵐越智村雨宮脇山田案史、末光人、木原魚鱗、などである。

※この「俳誌『シブキ』」の解説は、「西村兵太郎」の解説の一部です。
「俳誌『シブキ』」を含む「西村兵太郎」の記事については、「西村兵太郎」の概要を参照ください。

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