俳壇への登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 07:05 UTC 版)
元禄年間の内に、芳賀一晶に師事したが、間もなく一晶は俳壇から離れたため、内藤露沾に師事した。享保2年(1717年)初冬、絵俳書『百福寿』に参画した。三世立志とも接近し、江戸座において歳旦集に入句した。享保5年(1720年)頃、露沾から一字を賜り沾涼と号した。享保12年(1727年)3月17日湯島天満宮で万句興行を主催し、 宗匠として立机した。
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