俳諧の歳時記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 03:17 UTC 版)
俳諧における歳時記について、初期のものは季寄と呼ばれるが、季寄と歳時記の区別は明確ではない。 季語を収集した季寄や四季別の類題集句集は連歌のころから存在しており、季題を集めて四季に分類しようとする試みは、『はなひ草』『毛吹草』『俳諧初学抄』といった式目作法書に見られる。北村季吟の『山の井』(1647年)は、季題を説明した後、例句を添える形式を持ち、歳時記の先鞭をつけた。ただし、季題の説明文は雅文体であり、実用を意図したものではない。同じく季吟の『増山の井』は従来の季寄せの集大成であり、『公事根源』『年中行事歌合』『世諺問答』『江家次第』などを参照して、季題本来の意味を明らかにしようとしたものである。1713年序『滑稽雑談』は季題を詳細に考証し、その姿勢は後世の歳時記作者に影響を与えた。 俳諧関連書で「歳時記」の名を最初に使ったのは曲亭馬琴の『俳諧歳時記』(1803年)で、明治になっても増補版が翻刻されていた。 近代に入ると、考証よりも実作者向けの実用性を重視する姿勢が強くなり、近世以前のスタイルと異なる歳時記が生まれた。1872年12月より日本に太陽暦が導入され、歳時記の内容に大きな混乱をもたらした。1874年の『俳諧貝合』(香夢)が陽暦による最初の歳時記であり、同年序の『ねぶりのひま』(四睡庵壺公編)では四季とは別に新年の部を立て、立春を2月において陰暦から1か月遅れで調整しており、現在の歳時記の多くがこの方法を引き継いでいる。その後改造社の『俳諧歳時記』(1933年、全5巻)が出て近代の歳時記の体裁が整えられた。 沖縄県では季節感や動植物、方言などの多様性から、2017年には沖縄県現代俳句協会編『沖縄歳時記』(文学の森)が刊行されている。
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