作品製作に関するエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 04:25 UTC 版)
「炎のごとく」の記事における「作品製作に関するエピソード」の解説
撮影開始当初、主演の菅原文太は、NHK大河ドラマ『獅子の時代』と掛け持ちだったので、監督の加藤泰は「主役なんだよ」と怒ったという。 京都でロケをしたとき、学生エキストラに気合が入っていなかったので、加藤は撮影を中断し、学生エキストラを前に「諸君、明治維新とは」と講義を始めた。 当時の映画は20代の「かわいいお嬢さん」系の女優を使う傾向にあったが、加藤は、あえて演技力のある30代の女優を中心に起用した。 ラストシーンでの倍賞美津子が、遠ざかったり、近づいたりするシーンがあるが、これは、カメラを後退させながら、ズームアップを同時に行なうことで撮影されたという。 上記のラストシーンについて、加藤は、『シナリオ』1981年5月号にて、高野慎三を相手に次のように語っている。「あれね、なんでおりんが出てくるんやと、シナリオのときからイロイロ言われたんですけど、僕は答えようがなくてね。困って、最後、苦し紛れ、「監督というのは、ひとつの作品の何処かで、お客さんと勝負したくなることがあるもんです。勝負さして下さい」と・・・・・・。 プロデューサーも吹き出して、「そんなら、まあ、おやりやす」と・・・・」 この作品への意気込みについて、加藤はパンフレットで次のように書いている。「僕のそれらは多く骨惜しみのない大チャンバラ、大格闘の大活劇、抱腹絶倒の大ドタバタの大喜劇、泣けて泣けて堪らん大悲劇、情緒纏錦の大恋愛劇だったものである。そこで僕らの先輩の活動屋達は、まるで頼もしい兄貴のように、何が正しいか、正しくないか、人生どのように生きたら良いか、この男と女はこんな素敵な恋をしたんだぜ、自分の考えを貫くためにこんな風に戦ったんだぞと熱っぽく動く映像で語りかけようとしたものである。僕もそんな「大活動写真」が作りたい。だが毎度力及ばず頭を掻くばかりである。だが今度こそはと、またまた、性懲りもなしの挑戦を試み格闘した成果が今回の『炎のごとく』である」 『炎のごとく』は独立プロ大和新社の制作で、松竹、東映、東宝、大映、フリーと、にっかつを除く日本映画界横断的な混成スタッフで作られた。撮影所は主に大映京都撮影所が使用されたが、その他の撮影所も使われた。ラスト・シーンの京都の焼け野原のセットは、日本京映という貸しスタジオで設営されたが、くしくもこのスタジオは、加藤が監督デビューした『剣難女難』を制作した宝プロの撮影所だったという。 この作品では、加藤一流のロー・アングル、長回し撮影が見られない。加藤はリアルな画面作りで知られるが、この『炎のごとく』では非リアルな画面作りをしている。タイトル・バックでの仙吉・おりんの絡みに花嫁行列を遠景として合成したシーン。大垣屋への殴りこみのシーンで、他の人物が消えて仙吉だけが残るシーンなどである。 二部構成であるが、途中、休憩はない。第一部と第二部は、佐々木愛次郎とあぐりの出会い、シークエンスの直後、二人の口づけという、やや唐突な描写で区分けされている。
※この「作品製作に関するエピソード」の解説は、「炎のごとく」の解説の一部です。
「作品製作に関するエピソード」を含む「炎のごとく」の記事については、「炎のごとく」の概要を参照ください。
- 作品製作に関するエピソードのページへのリンク