伝承・思い込みとその影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 00:12 UTC 版)
原則として地震による海底の上下変動が起きれば津波が発生する。しかし、しばしば津波に関する根拠の薄い情報が伝承された結果、人的被害が拡大した事例が数多く確認されている。地震後に津波警報が発表された場合、一刻も早く高台へ避難することが必要とされる。 2011年の東日本大震災では、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}「頑丈な防潮堤があるから大丈夫」であるとか、明治三陸沖地震による津波の記録や1960年のチリ地震の記憶から「過去の大津波でもここまで津波が来なかった」「今までに何度も大地震は起こったが、いつも津波注意報どまりで津波は来なかった」などのような[要出典]過去の経験の影響で避難しなかったり、避難が遅れたりした ために、津波の犠牲になった住人もいた。また、1960年のチリ地震による津波において、ハワイのヒロでは、「過去の地震による津波があまり高くなかった」という過去の経験や、「津波は震源地であるチリがある南東方向からやってくる。」と判断した住人が犠牲となった。[要出典] 東日本大震災では岩手県釜石市が設置していた鵜住居地区防災センターが、「防災」という名称から津波避難場所と誤解され犠牲者が出たとして、訴訟になった例がある。 宮城県の歌津町、戸倉村を含む地方や、岩手県田老町では「晴れた日には、よだ(津波)はこない」「寒い時期の津波はない」「冬の晴れた日には津波は来ない」といった話が伝えられていた。昭和三陸地震の際にはこの伝承によって却って大勢の犠牲者を出したと言われている。なお、東北地方太平洋沖地震も寒い時期の発生であり、また津波到達時に三陸沿岸では雪が降っていた。 昭和三陸地震では強い揺れを伴ったが、過去の経験に因る「強い揺れがあったときは津波は来ない」という伝承から被害に遭った者もいる。これは、明治三陸地震で弱くゆっくりとした揺れの後に津波が来たという経験に基づいている。 明治三陸地震による津波が発生した6月15日は旧暦の端午の節句、昭和三陸地震による津波が発生した3月3日は新暦の桃の節句に当たることから、「津波は節句の日に来る」という伝承も生まれた。 「津波は引き波から来る」という誤った知見 に基づいた教育がかつて行われていたこともあり、開発途上国を含めて誤った知識が流布されている。かつての日本でも、「地震が起きたら海へ逃げろ」という陸上での津波避難としては適切でない教訓があった。この説は、秋田県の男鹿半島では、1964年に起きた男鹿半島沖地震での山崩れの経験からのものだとされている。またこの伝承は、「日本海側には津波は来ない」という思い込みも影響して、日本海中部地震(1983年)による被害を拡大させたと考えられている。 北海道日高地方静内町神森付近のアイヌ民族には、「酒盛りをしていた家を津波が避けて通ったため、津波の神は酒を嫌う」という伝承があり、変事のたびに家の周りに酒粕を撒いて津波除けに用いていた。 「津波の前には必ず井戸の水が引く」という俗説もあり、実際に昭和三陸地震の時にはわざわざ井戸を覗きに行ったがために津波から逃げ遅れた人もいるという。 三重県尾鷲市では、「地震の後、津波が来るまでに、ご飯を炊く時間がある」「地震が発生してから津波が来るまでには、ご飯を炊いて食べて、それを弁当に持って逃げられるだけの時間的余裕がある」といった伝承もあったが、昭和東南海地震による津波は約15分程度で来襲したので、とてもそのような余裕はなく慌てたとの体験談が残っている。 「地震の時は竹藪へ逃げろ」との伝承を信じたがために津波の犠牲になった例が昭和南海地震において見られた。竹林は地震による地割れを防ぐから安全という俗説から生じたもので(漫画版『日本沈没』にも同様の描写がある)、もとより明確な根拠はなく(竹林#竹林と災害も参照)まして津波からの逃避策にもならない。
※この「伝承・思い込みとその影響」の解説は、「津波」の解説の一部です。
「伝承・思い込みとその影響」を含む「津波」の記事については、「津波」の概要を参照ください。
- 伝承・思い込みとその影響のページへのリンク