伝承・子孫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 01:01 UTC 版)
奄美群島には、資盛が平行盛や平有盛らと共に落ち延びたという伝説が残っており、最初は喜界島に辿り着き、資盛は後に加計呂麻島に来て諸鈍に居を構えたと伝えられている。資盛を祭神とする大屯神社があり、毎年旧暦9月9日の大屯神社祭では、資盛がもたらしたと言われている「諸鈍シバヤ」という演劇・人形劇が行われている。1976年(昭和51年)に国の重要無形民俗文化財に指定された。 鎌倉時代に得宗被官であった平盛綱は資盛の子とされ、その後裔である内管領長崎円喜をはじめとする長崎氏は資盛の子孫を称している。 織田信長を輩出した織田氏は資盛の末裔を自称しており、『系図纂要』では資盛の子に親真を載せ、織田氏の祖としている。 子の国盛の嫡男・時盛が日向国の佐多氏を継承したという伝承があり、その子孫の名乗りは島津忠宗の子・佐多忠光の子孫へと受け継がれた。 資盛のものと伝えられている肖像画(赤間神宮蔵)が、安土桃山時代から江戸時代にかけての大名、前田利長の肖像画(魚津歴史民俗博物館蔵)に酷似している。
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