会津鉄道時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 00:38 UTC 版)
「名鉄キハ8500系気動車」の記事における「会津鉄道時代」の解説
折りしも、会津鉄道では現有車両の更新の時期を迎えており、観光列車としての設備を備えた車両の導入を検討していた。また、会津鉄道は一般車両のうちお座敷車両への改造と事故廃車で2両を失っており、車両を補充する必要があった。会津鉄道では「北アルプス」廃止によって運用を失った本系列に着目し譲渡を申し入れた結果、5両全車両が会津鉄道に譲渡されることになった。会津鉄道の列車は西若松駅から会津若松駅までは東日本旅客鉄道(JR東日本)只見線へ乗り入れており、本系列がJR直通対応車両であることもメリットとして挙げられた。 名鉄側での売却整備が行われ、同年12月22日から24日にかけて会津鉄道へ甲種輸送された。会津鉄道での形式番号および外部塗装については、特急「北アルプス」に愛着を感じるファンを意識して名鉄時代のままとなった。また、2両編成2本として組成した上で中間車1両は予備車となった。 2002年3月23日のダイヤ改正から「AIZUマウントエクスプレス」として営業運行を開始した。当初の運用列車は快速4本・普通列車2本であった。2003年10月からはJR東日本磐越西線の喜多方駅まで乗り入れを開始、2005年3月からは東武用のATSを装備して野岩鉄道会津鬼怒川線を経由して東武鬼怒川線鬼怒川温泉駅まで乗り入れを開始した。 2007年3月31日付で中間車のキハ8555は廃車となり、部品取りとなった。残る4両はその後も運用されていたが、性能上の特性が高速運転向けに設計されていたことから、こまめな停車の繰り返しや大川ダム建設に伴う付け替え区間以外の最高速度が65km/hと低いため、殆どの区間において変速機が変速段での走行となった会津鉄道では変速機油温度が下がらず、ブルカン継手(高弾性カップリング)に使われているゴムの劣化が早期に進行した。 このため、会津鉄道での標準型車両をベースとした新型車両AT-700形・AT-750形へ置き換えられることになり、本系列は2010年(平成22年)5月30日をもって営業運転を終了した。最終日となった5月30日には特別運用が組まれ、会津若松駅を午後12時59分に発車する列車が最後の運行となった。同列車は鬼怒川温泉駅行きであるが、会津田島駅到着後に隣設ホームに停車しているAT-700形・AT-750形と車両交換するという「新旧交代セレモニー」が行われた。 引退後は会津田島駅と会津下郷駅に1編成ずつ留置されていたが、2010年12月に会津鉄道公式サイト上において売却先募集が行われた。その後売却先が決定し、2011年3月26・27日に会津田島駅構内でさよなら運転のイベントを開催する予定であったが、東日本大震災の影響で中止になった。
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