会津領民の請願書とは? わかりやすく解説

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会津領民の請願書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 14:28 UTC 版)

松平容保」の記事における「会津領民の請願書」の解説

明治元年1868年10月会津戦争敗戦後、容保・容大父子は東京護送され謹慎となった会津領民たちは驚愕し悲しみ失望暮れ、容保を救うべく「御赦免御帰城」の請願書を、会津においては民政局東京出て太政官たちに多く提出した。この請願書運動翌年11月に容大が陸奥斗南移封となった後も続けられた。『会津史談会誌』にはその中から2通を資料として掲載している。 一つは、百姓惣代として東谷地上西など5か若松町惣代として4名の連名からなり内容には、数百年の御恩をうけ一途な直心より訴えること、悲しみ沈み日夜寝食絶つ様子や、大勢民衆訴え出ることを代表の者が押し止め申し合わせの上での請願書であることなどが書かれ領内の民の安堵のためにも何卒御領主の御帰城お許し下さいますようにと、百姓町人惣代の者の泣血嘆願としている。 二つ目は、岩代國耶麻郡木曾組を筆頭に6ヶ連名からなり、容保や歴代藩主これまで領民のために行ってきた政策34条(高齢者病人育児への福祉制度や、天明天保始めとする飢饉不作の年の援助など)書き連ねた上で、「御領主の儀は二百余年の事につき身に染みて片時も慕う気持ち忘れずにます。何卒哀憐御沙汰をもって直ち御帰城なりますよう」と訴えている。

※この「会津領民の請願書」の解説は、「松平容保」の解説の一部です。
「会津領民の請願書」を含む「松平容保」の記事については、「松平容保」の概要を参照ください。

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