人間の由来と性選択
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 16:56 UTC 版)
「チャールズ・ダーウィン」の記事における「人間の由来と性選択」の解説
人生の最後の22年間も病気の度重なる発作に悩まされたが研究を継続した。理論の要約として『種の起源』を出版したが、しかし「巨大な本」の論争的な面については十分に述べていなかった。論争的な面とは他の動物からの人類の誕生と、ヒトの精神能力・高い社会性の原因についてである。さらにまだ有用ではないが装飾的な美しさを持つ生物の器官について説明していなかった。娘が病気にかかったときには実験中だった植物や家畜をおいて一緒に海沿いの保養地へ行き、そこで野生のランに興味を引かれた。これは美しい花がどのように昆虫をコントロールし他家受粉を確実にするのかについて革新的な研究へと繋がった。フジツボと同様に相同器官は異なる種で異なる機能を持つ。家に帰るとツタ植物で一杯の部屋で病に伏した。この頃ダーウィンを訪れた客はドイツでダーヴィニスムスを広げたエルンスト・ヘッケルも含まれた。ウォレスはますます心霊主義の方向にのめり込んでいったが、それでも強力な支持者のままだった。ダーウィンの「巨大な本」の最初の部分は大きな二巻本、『植物の変異』に増大した。そのため人類の進化と性選択に関して記述することができなくなった。彼は自然選択に関する第二のセクションを書いたが存命中には未発表のままだった。 ライエルは人類の先史時代について論じ、ハクスリーは解剖学的にヒトが類人猿であることを示した。1871年にダーウィンは『人の由来と性に関連した選択』で多数の証拠を提示して人間と動物の精神的、肉体的連続性を示し、ヒトは動物であると論じた。そしてクジャクの羽のような非実用的な動物の特徴を説明する性選択を提案し、ヒトの文化進化、性差、身体的・文化的な人種間の特徴を性選択によって説明し、同時にヒトは一つの種であると強調した。絵や図を多用した研究は拡張され、翌1872年には『人と動物の感情の表現』を出版した。これは写真を利用した初期の本の一冊で、人間の心理の進化と動物行動との連続性を論じた。どちらの本も人気があり、ダーウィンは自分の意見が一般に受け入れられたことに感動し「誰でも衝撃を受けることなくそれについて話している」と述べた。 そしてダーウィンはこう結論した。「人類とその高貴な特性、困窮している人への同情、人間にとどまらずささやかな生命さえも慈しむ心、神のような知性、太陽系の運動と法則への理解、あるいはそのような全ての高尚な力、[とともに]人間はその体の中に未だつつましい祖先の痕跡を残している」
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