九州進出と前将軍亡命とは? わかりやすく解説

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九州進出と前将軍亡命

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 22:40 UTC 版)

大内義興」の記事における「九州進出と前将軍亡命」の解説

大内氏長い間北九州大友氏少弐氏らと合戦繰り広げながら、勢力拡大してきたが、大友政親大内政弘の妹を妻として婚姻関係を結び、次いで彼女が生んだ大友義右家督継いだことから義興と義右が従兄弟として協力することになり、安定した関係が築かれた。ところが、明応5年1496年)に義右が急死すると、義右が対立していた父の政親が毒殺したという噂が流れ実権取り戻した政親は北九州大内侵攻のために兵を挙げた。ところが、政親の乗った船は遭難して事もあろうに大内氏本拠地である長門国辿り着いてしまう。義興は激怒して政親を捕らえて切腹させてしまった。事件背景には大内氏勢力拡大北陸地方亡命中の前将軍足利義材との連携恐れた細川政元暗躍があったとみられるその後、義興は大友親実(大聖院宗心、大友親綱の子)を大友家後継者にしようとしたが、政親の弟大友親治反抗によって失敗している。また、前述のように明応8年1499年)に反乱失敗した義興の弟・大護院尊光が亡命したのも大友親治の下であり、彼は細川政元擁していた将軍足利義高(義澄)の偏諱受けて大内高弘名乗っている。 一方筑前国奪回狙っていた少弐政資・高経父子大友政親・親治兄弟結んで肥前国から筑前国に兵を進めて大内軍と戦っていたが、義興も明応5年(1496年)暮れには赤間関に兵を結集させ、12月13日筑前向けて出陣した明応6年1497年3月13日博多聖福寺門前で、15日には筑紫村高鳥居城戦い筑前攻め込んだ少弐父子破って肥前へと侵攻3月23日肥前朝日城を攻略4月14日少弐政資小城城包囲した。いったん山口帰国した義興は16日周防国一宮玉祖神社二宮出雲神社三宮仁壁神社四宮赤田神社五宮浅田神社参詣した18日小城城落城少弐政資逃亡したがのちに自害したその後少弐氏攻められていた九州探題渋川尹繁支援する明応7年1498年8月27日肥前国綾部城攻められていた尹繁のもとに援軍として派遣した仁保護郷が、肥前基肄郡養父郡戦い勝利している。また9月17日にも護郷は肥前三根郡戦いここでも勝利したこのように義興の軍勢勝利を重ね肥前国における自らの勢力広げた一方で大友氏との戦いで防戦強いられる明応7年1498年11月豊後国右田弘量と末武長安派兵するが、11月7日豊後玖珠郡内山での戦いで大内軍は敗れ弘量は戦死長安負傷する宇佐郡郡代であった佐田泰景が一時大友軍の捕虜にされるなど苦戦している。 そんな最中明応8年12月30日1500年1月30日)に諸国亡命していた前将軍足利義尹明応7年1498年)義材より改名)が義興を頼って山口入った義尹は自らを現在でも現職将軍であると主張して山口に自らの幕府を置き、義興も細川政元対抗して義尹擁して上洛ようとしていた。これに対して足利義高細川政元大友親治大内高弘少弐資元(政資の3男)・菊地武運阿蘇惟長らに義興討伐命じとともに文亀元年6月9日1501年7月23日)には後柏原天皇から義興討伐綸旨獲得した。こうして義興は「朝敵ということになり、続いて将軍義高の御内書奉行人奉書出され改め西日本大名・有力国人28名に義興討伐命じられた。文亀元年(1501年)閏6月20日大友親治少弐資元軍勢豊前国要所であった馬ヶ岳城攻める。神代与三兵衞尉や仁保護郷が戦うが、護郷は戦死し馬ヶ岳城陥落する。だが7月23日弘依が援軍として駆けつけ馬ヶ岳城取り戻すことができた。東では義興の討伐命令受けていた安芸国毛利弘元味方引き入れることに成功している。間もなく、義興は足利義尹仲介により大友親治和睦し永正4年1507年)には少弐資元とも和睦し北九州勢力保っている。

※この「九州進出と前将軍亡命」の解説は、「大内義興」の解説の一部です。
「九州進出と前将軍亡命」を含む「大内義興」の記事については、「大内義興」の概要を参照ください。

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