九州軍団の瓦解
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1991年7月、福井競輪場で開催されたふるさとダービー2日目優秀戦において、吉岡の後位を巡って中野と井上が競り合うというシーンが見られた。翌日、「鉄の結束」を誇っていた九州軍団がついに崩壊したと、競輪マスコミはこぞって書きたてた。なぜそのような事態が発生したかについて、その伏線として考えられるのは次のレースがあったからだとされている。 当年の1991年3月に一宮競輪場で開催された日本選手権競輪の決勝戦において、中野を含めた久留米競輪場をホームバンクとする選手が4人決勝へと駒を進めたが、井上が決勝進出を果たしていたにもかかわらず別線を余儀なくされ、しかも茨城の伏兵、坂巻正巳に優勝をさらわれた。これで井上が中野に対して不信感を抱くようになったと言われている。 加えて、中野、井上の2人にも、往時の力が次第になくなりつつあった。そこへもってきて吉岡という超大型新人が現れるようになると、もはや「ゴールデンコンビ」と称された時代には戻れない情勢にもなっていった。加えて緒方自身も特別競輪へ常時参加できない状況となっていたことも重なり、中野、井上の2人を直接説得できない状況にも追い込まれていた。 やがて1992年6月に行われた高松宮杯競輪決勝戦を最後に中野が引退したが、これが緒方にとっても契機の一つになった。
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