右田弘量とは? わかりやすく解説

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右田弘量

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/12 03:24 UTC 版)

 
右田弘量
時代 室町時代 - 戦国時代
生誕 寛正2年(1461年[注釈 1]
死没 明応7年11月7日1498年12月19日
別名 弥三郎[1]
官位 右馬助、左馬助[1]
主君 大内義興
氏族 多々良姓右田氏
父母 父:右田貞安
兄弟 弘量、弘如、弘高、正忠
興量

右田 弘量(みぎた ひろかず)は、室町時代から戦国時代の周防国の武将。大内氏庶流の右田氏当主。右田貞安の子、右田石見守貞俊の孫、子に興量がいる[1]。右馬助と称した。

大内義興に仕えた。明応7年(1498年11月7日豊後国玖珠郡青内山において軍を率いて戦うが敗れ戦死[1]。死亡した時の年齢は『大内系図』によると37歳。

脚注

注釈

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  1. ^ 『大内系図』より享年から逆算

出典

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  1. ^ a b c d 『大内系図』

参考文献

  • 近藤清石 『大内氏實録』 中元壮作、宮川臣吉、山口県山口町、1885年10月28日NCID BA33800345NDLJP:780384



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