世界観・人間観の矛盾とナスフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 03:35 UTC 版)
「ナスフ」の記事における「世界観・人間観の矛盾とナスフ」の解説
テキストという「言葉」を解釈するという行為は、それを解釈する人の内面の在り方によって、与えられた一つの文が大きく変化するとされている。無理をすれば正反対の意味や勝手な意味にも、彼らは解釈できるのである。それに加えて、イスラームの場合、神の啓示そのものの中に、「この宗教の啓示には矛盾が含まれている」という言葉が下されているので、神の言葉の解釈による人間の生活の「混乱」は、より深刻なものになっていると見ることができる。 また、「神以外の存在から啓示が出ている場合、その啓示には、いろいろな矛盾が見つかるはずである」(4章84節)、という啓示は、以下の啓示とは正反対の位置にあることがわかる。それは、「(この宗教の)神の啓示には、矛盾があるときがある」という言葉である。 イスラーム世界の大きな矛盾の一つに、イスラム教とキリスト教とは同じ一神教を掲げている、兄弟ともいえる間柄であるのにも関わらず、敵同士の関係になっている、という点がある。この矛盾点が生じた原因に関してみるならば、「神以外の存在から、啓示が出ている場合、矛盾が生じる」ということが原因であると見ることができる。 イエスの存在は、イスラーム教とキリスト教という二つの世界観における、大きな共通項であるとする見解がある。ムスハフによれば、歴史的な存在としてのナザレのイエスは人類の教師としての存在であるとしている。そのナザレのイエスの本質的な教えと、ムハンマドに下されたクルアーンの初期の教えとの間には、矛盾は見当たらないと見ることができる。そのため、ムスハフの本来の教えは慈悲の教えであるという見解に矛盾はないと見ることができる。 ムスハフにおいて、イエスの本質は、神から発する言葉(神的なロゴスの意)であるとされる。歴史的存在としてのナザレのイエスは、現世にても天の世にても神の高き誉を受けている。イエスの存在は、神の存在のすぐ近くに存在している、と解釈されている 。 57章27節において、神は、「イエスを預言者として召し出し、福音を授け、これに従う人々には、慈悲の心とやさしい気もちとを置いた」、ということを言っている。これは、神の啓示がキリスト教と対立するようになってからの啓示である。このことは、キリスト教によって変化する前の歴史的存在としてのイエスの教えは、ムスハフの説く教えと同じであったということを示している。また、ムスハフの中において神は、キリスト教の説く三位一体説は、人間であるイエスを神としているので、これは誤りであるとしている 。その意味からすると、人間であったイエスを神の息子としての神の子であるとすることや三位一体の教説を主張している四福音書は、重大な誤りを含んでいるといえる。それは宣教のための物語である、とみなすことができる。キリスト教徒にとって四福音書は神の啓示によるもの、とされている。しかしそれらは、ナスフという観点からすると、イエスの言行の記録を人の手による物語に変えている、という点で、イスラームにおけるハデースと似たような位置にあると言える。四福音書にはそれぞれに記述の食い違いがあるという点を、イスラームにおけるナスフによって言い換えると、それは、「啓典の歪曲」に当てはまるようだ。特に、ある同じ文書を見て作られたとされる共観福音書については、自分たちの宗派に合った伝承に、彼らの作者の手が加えられた物語であると言える。「啓典の歪曲」が多くみられる新約聖書は、神がイエスに下した啓示をそのまま記した言行録ではないといえる。共観福音書の作者は、神がイエスに下した啓示を歪曲して、自分たちの宗派に合った宣教物語を作成したと言えるようである。 歴史的存在であり、人類の教師としてのイエスの教えは、クルアーンの最初期の教えとは、大きな共通項であると言えるようだ。さらに、ムハンマド・イエス・ブッダは慈悲の教えを説いたとする見解がある。 「神以外の存在」から啓示が出ている場合、その啓示を見た信者は、いろいろな矛盾に遭遇してしまうことになる(4章84節)、という啓示がある。この啓示の見解に従えば、矛盾の見出せる啓示は、神以外の存在から出ているものであると判断できることになる。それにより、矛盾についての弁解を含んだ啓示は、神以外の存在から出ているということができる。また、真の神の存在から出ている本来の教えは、矛盾の無い、慈悲の教えであるとする見解も成り立っていると見ることができる。 ムスハフにおいて、最初期の教えとは、真正の神の教えであると言える。しかし、その啓示が、真の神の啓示と見なされる「初期の啓示」であるかどうか、その判断基準は難しいといえる。この状況の中において、最初期の教えとは、「慈悲の教え」に矛盾しないもの、また、「他との調和をはかる教え」でもあるという見解が成立していると見ることができる。そして、これと対立している見解とは、イスラームは「慈悲の教えであるとともに、それと矛盾した啓示も同時に存在する」、とする見解である。矛盾を含んだ教えとは、他の存在に対して、これを敵と味方に分け、神の敵は剣をもってこれを見つけ次第殺さなくてはならない、とする見解である。
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