上田栄治監督時代とは? わかりやすく解説

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上田栄治監督時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 07:26 UTC 版)

サッカー日本女子代表」の記事における「上田栄治監督時代」の解説

2002年8月マカオ男子代表監督務めていた上田栄治代表監督就任10月韓国行なわれ第14回アジア競技大会では3位となった2003年6月にタイ・バンコクで開催され2003 AFC女子選手権出場第4回FIFA女子ワールドカップ・アメリカ大会アジア地区予選兼ねたこの大会で準決勝北朝鮮に、3位決定戦韓国敗れて4位となり、残る出場枠賭けてメキシコ北中米カリブ海地区)との大陸プレーオフホーム・アンド・アウェー方式)に回ることとなった7月5日メキシコシティエスタディオ・アステカ行なわれアウェー戦は2-2引き分け終わったが、7日後の7月12日12,743人の観客集めて国立競技場行われたホーム戦は澤穂希丸山桂里奈ゴールにより2-0勝利しワールドカップ出場獲得。この試合マスメディア大きく取り上げられ女子サッカーが再び注目されるきっかけとなった。本大会でアルゼンチンとの初戦FW大谷未央ハットトリック決め6-0勝利したもののドイツ0-3カナダ1-3敗れグループリーグ敗退となった2004年4月出場チーム10拡大したアテネオリンピックアジア2を決め大会AFC女子サッカー予選大会2004」が日本開催され日本1次リーグベトナム7-0タイ6-0圧勝して1位で通過北朝鮮との準決勝国立競技場31,324人の観客集めて行なわれ荒川恵理子大谷未央ゴール決めて3-0勝利し2大会ぶり2度目オリンピック出場決める。なお、決勝中国0-1敗戦準優勝となったオリンピック大会前7月にはチーム愛称なでしこジャパン決定した。そして、8月開催されオリンピック大会でグループステージ初戦スウェーデン1-0勝って大会勝利を収め、続くナイジェリア戦では0-1敗れたが、他グループ3位との総得点差で初の決勝トーナメント進出果たした準々決勝アメリカ対戦し1-2敗れベスト8終わったが、チームは3試合通して警告退場ゼロ」により「フェアプレー賞」を受賞したアテネオリンピックにおけるなでしこジャパン活躍によって女子サッカー広く認知されるようになり、国内トップリーグ日本女子サッカーリーグ人気も再上昇したまた、オリンピック後にはリーグ名の新愛称なでしこリーグ」が採用され2005年より「なでしこスーパーカップ」、2007年より「なでしこリーグカップ」が開催されるなど、「なでしこ」は女子サッカーブランド名として活用されている。 また、ユニバーシアード日本女子代表ユニバーシアード2003年大邱大会銀メダル2005年イズミル大会銅メダル獲得した。このイズミル大会で本田美登里男女・各年代通じて日本初の「女性代表監督」として采配をとった。

※この「上田栄治監督時代」の解説は、「サッカー日本女子代表」の解説の一部です。
「上田栄治監督時代」を含む「サッカー日本女子代表」の記事については、「サッカー日本女子代表」の概要を参照ください。

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