上田栄治監督時代
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「サッカー日本女子代表」の記事における「上田栄治監督時代」の解説
2002年8月、マカオ男子代表の監督を務めていた上田栄治が代表監督に就任。10月に韓国で行なわれた第14回アジア競技大会では3位となった。 2003年6月にタイ・バンコクで開催された2003 AFC女子選手権に出場。第4回FIFA女子ワールドカップ・アメリカ大会のアジア地区予選を兼ねたこの大会では準決勝で北朝鮮に、3位決定戦で韓国に敗れて4位となり、残る出場枠を賭けてメキシコ(北中米カリブ海地区)との大陸間プレーオフ(ホーム・アンド・アウェー方式)に回ることとなった。7月5日にメキシコシティのエスタディオ・アステカで行なわれたアウェー戦は2-2の引き分けに終わったが、7日後の7月12日に12,743人の観客を集めて国立競技場で行われたホーム戦は澤穂希と丸山桂里奈のゴールにより2-0で勝利しワールドカップ出場権を獲得。この試合はマスメディアに大きく取り上げられ、女子サッカーが再び注目されるきっかけとなった。本大会ではアルゼンチンとの初戦でFW大谷未央がハットトリックを決め6-0で勝利したもののドイツに0-3、カナダに1-3で敗れグループリーグ敗退となった。 2004年4月に出場チームが10に拡大したアテネオリンピックのアジア枠2を決める大会「AFC女子サッカー予選大会2004」が日本で開催され、日本は1次リーグでベトナムに7-0、タイに6-0で圧勝して1位で通過。北朝鮮との準決勝は国立競技場に31,324人の観客を集めて行なわれ、荒川恵理子や大谷未央がゴールを決めて3-0で勝利し2大会ぶり2度目のオリンピック出場を決める。なお、決勝は中国に0-1で敗戦し準優勝となった。 オリンピック本大会前の7月にはチームの愛称がなでしこジャパンに決定した。そして、8月に開催されたオリンピック本大会ではグループステージ初戦でスウェーデンに1-0で勝って本大会初勝利を収め、続くナイジェリア戦では0-1で敗れたが、他グループ3位との総得点差で初の決勝トーナメント進出を果たした。準々決勝でアメリカと対戦し1-2で敗れベスト8に終わったが、チームは3試合を通して「警告・退場者ゼロ」により「フェアプレー賞」を受賞した。 アテネオリンピックにおけるなでしこジャパンの活躍によって女子サッカーは広く認知されるようになり、国内トップリーグの日本女子サッカーリーグの人気も再上昇した。また、オリンピック後にはリーグ名の新愛称「なでしこリーグ」が採用され、2005年より「なでしこスーパーカップ」、2007年より「なでしこリーグカップ」が開催されるなど、「なでしこ」は女子サッカーのブランド名として活用されている。 また、ユニバーシアード日本女子代表はユニバーシアードの2003年大邱大会で銀メダル、2005年イズミル大会で銅メダルを獲得した。このイズミル大会では本田美登里が男女・各年代通じて日本初の「女性代表監督」として采配をとった。
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