一蓮寺を描いた絵画
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江戸後期に浮世絵師の歌川国芳が正木稲荷を背景に大判三昧続きの「甲州一蓮寺地内 正木稲荷之略図」を描いている。山梨県内に所在する伝本では「甲州文庫」本(山梨県立博物館所蔵)ほか二点の個人所蔵本があり、昭和戦前期には野口二郎、戦後には上野晴朗、石川博らが紹介している。個人所蔵本の一種では署名は「一勇斎国芳」、出版は地本問屋の和泉屋市兵衛、「村松」「吉村」の改印(名主双印)があり、発行時期は弘化4年(1848年)から嘉永5年(1851年)の間に推定されている。国芳は同年に甲斐国を訪れているとも考えられている。 三図それぞれに一人ずつの女性が描かれており、中央の女性は派手な振り袖姿。左図の女性は木瓜紋の着物姿で右を向け、右手を胸に当て、左手に手ぬぐいを持っている。手ぬぐいには「村田」と記され、『甲府買物独案内』に拠れば甲府城下には出版商の村田屋孝太郎ほか煙草商の村田屋が存在しており、関連が指摘される。なお、弘化4年(1847年)から嘉永5年(1852年)の間に出版された甲府城下の名所・甲斐善光寺(甲府市善光寺)を描いた浮世絵に三代歌川豊国「甲州善光寺境内之図初午」があり、こちらにも「村田氏」の文字が見られる。豊国は村田屋孝太郎と交流があり、安政以前に甲府を訪れたという。背景には幟(のぼり)や火の見櫓が立つ町並みが描かれ、左側には亀屋座と思われる芝居小屋が、右側には緑町(甲府市若松町)と柳町(甲府市中央)の境に流れる濁川を架橋する緑橋が描かれている。その背後に冠雪した富士山が描かれている。画面左には和歌が記され、画面右に描かれた橋の上方には「みどりばし」と記されている。 右図の女性は縦縞の着物姿で左向き、左手に煙草入れ、右手に煙管を持っている。その背景には赤い鳥居が連なった光景が描かれており、正木稲荷であると見られている。中央図の女性は花柄の振袖姿で、左を向き左手で右を指している。背景には一蓮寺境内が描かれており、左側には和歌が記されている。 中央図の和歌は甲州文庫本・個人所蔵の二種で同様であるが、左図の和歌のみが甲州文庫本と個人所蔵本一種で異なっている。中央図の和歌は三首とも「正木納涼 水無月の照る日もすゝし時しらぬ富士の影うくはちす葉のいけ 吉岡舎」。水無月は現在の6月頃に相当し、「時しらぬ富士」は富士に季節外れの雪が積もっていることを意味し、『伊勢物語』の和歌「時しらぬ山は富士の峰 いつとてか鹿の子まだらに雪はふるらむ」の文句取り。「蓮(はちす)は一蓮寺の池を暗示していることが指摘される。『裏見寒話』では一蓮寺の旧地である甲府城の堀に富士が映ったとする伝承を記している。 左図の和歌は甲州文庫本では「芝居之遠景 狂言の太鼓のおともするがはし日の見櫓といつれ高けん 紙廻屋」、個人所蔵本一種では「大御代のなかきためしもするかはし柳緑と町はつゝきて 紙の屋」と異なる内容を記しているが、作者の「紙の屋」と「するがはし(駿河橋)」の語句が詠まれている点が共通する。作者の「紙の屋」については不詳。甲府城下における「駿河橋」は天保10年(1839年)「駿河橋御掛替修復手当積金帳預り覚」(頼生文庫)に所見があるが、位置など詳細は不明。 三種の図のうち、甲州文庫本と個人所蔵本一種では左図の女性の着物の縞模様が甲州文庫本では粗雑であることが指摘されるが、一方で個人所蔵本一種では改印・商標の枠が欠損している。図像・和歌の内容の比較から二種の前後関係は不明。
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