ユニバーサル・インターナショナルの発足とデッカによる買収とは? わかりやすく解説

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ユニバーサル・インターナショナルの発足とデッカによる買収

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 07:44 UTC 版)

ユニバーサル・ピクチャーズ」の記事における「ユニバーサル・インターナショナルの発足とデッカによる買収」の解説

1945年イギリス起業家パインウッド・スタジオ経営者でもあったジョセフ・アーサー・ランク(J. Arthur Rank)はアメリカで存在感高めようとし、自身会社及びユニバーサル・ピクチャーズインディペンデント映画会社のインターナショナル・ピクチャーズ、映画プロデューサー・ケネス・ヤング(Kenneth Young)の会社の4社を合併させた。こうしてユナイテッド・ワールド・ピクチャーズ(United World Pictures)が誕生した1年もたたずに経営難から解消してしまう。ランクとインターナショナル・ピクチャーズはなおもユニバーサル対す興味持ち続け再編結果ユニバーサル・インターナショナル・ピクチャーズ(UIP、Universal-International Pictures Inc.)を成立させた。インターナショナル・ピクチャーズの創業者ルイス・B・メイヤー義理の息子でもあったウィリアム・ゲーツ(William Goetz)は改名後のユニバーサル・インターナショナル・ピクチャーズで製作部トップとなった配給著作権管理ユニバーサル・ピクチャーズの名で行われたが、映画の製作輸出入製作部門の作った映画の著作権管理などはユニバーサル・インターナショナル・ピクチャーズが行っていた。ゲーツ新し会社地位高めるためにそれまでユニバーサルが手がけていたB級映画ミュージカルコメディ西部劇など65以内短編・中編映画)の製作を中止しモンスター映画やアラビアン・ナイト・シリーズなどは打ち切ることを決めたゲーツ意欲的な番組製作開始した。ユニバーサル・インターナショナルはランク製作するイギリス映画、たとえばデヴィッド・リーンの『大いなる遺産』やローレンス・オリヴィエ『ハムレット』などのアメリカで配給請け負った。また劇場以外での上映という手付かず分野に目をつけ、ホーム・ムービー(個人宅の上映用に、商業映画8mmフィルム16mmフィルムにして販売レンタルするもの)の業者であるキャッスル・フィルムス(Castle Films)の過半数1947年買収し1951年には完全子会社とした。以後30年にわたりキャッスルユニバーサル所有するライブラリからの映画をホーム・ムービー愛好家コレクター販売し続けた映画製作部門はなおも苦闘続けていた。『卵と私』(The Egg & I)、『殺人者』(The Killers)、『裸の町』(The Naked City)などわずかなヒット除き、ユニバーサル・インターナショナルの新し劇場用映画売り上げ不振に陥っていた。1940年代末にはゲーツスタジオ退きユニバーサル再度かつてのような低予算映画製作し始めた。しゃべるロバ・フランシスを主人公にした『Francis the Talking Muleシリーズや、『卵と私』からのスピンオフである『ダイナマイト夫婦』(Ma and Pa Kettleシリーズなどが新しラインナップ中心となった。さらにアボットとコステロシリーズの新作再開しスタジオ大きな収益となったこの中にはアボットとコステロ同じくユニバーサル名物キャラクターであったフランケンシュタインなどと共演する凸凹フランケンシュタインの巻Abbott and Costello Meet Frankenstein といったシリーズもある)。この時点で既にランクユニバーサルへの興味失い、自らの持ち分投資家ミルトン・ラックミル(Milton Rackmil)へと売却した。ラックミルの経営するデッカ・レコード1952年ユニバーサル経営権を完全に手に入れた新たな親会社デッカユニバーサル映画製作費を低いままとしたが、これは当時激変期にあったアメリカの映画ビジネスではかえって有利となった映画館網から配給製作まで支配していた他のメジャー各社は、「アメリカ合衆国パラマウント映画裁判司法省などに独占禁止法違反訴えられ1948年敗北し映画館網から契約俳優までつぎつぎと放出し始めていた。主要なスター俳優たちはフリー俳優となって適切な時期適切な会社適切な映画出演することを選ぶようになり、俳優事務所が力を持ち始めていた。1950年大手俳優事務所ミュージック・コーポレーション・オブ・アメリカMCA)で俳優ジェームズ・スチュワート代理人務めていたルー・ワッサーマン(Lew Wasserman)は、ユニバーサルスチュワートとの契約交渉それまで慣例変える決定を行う。ワッサーマン結んだ契約では、スチュワートは高い出演料とらない代わりに3本出演映画収益から一定の取り分を得ることとなっていた。そのうちの1本、『ウィンチェスター銃'73』Winchester '73)は大ヒットとなりスチュワート巨額取り分を手にした。こうした出来高払いユニバーサル映画の、さらに後のハリウッド主流となってゆく。

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