マリンタウン21(1985-2011)
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「佐田浜」の記事における「マリンタウン21(1985-2011)」の解説
1985年(昭和60年)12月、佐田浜桟橋が浮桟橋に変更された。同年、運輸省は「長期港湾整備計画」策定し、日本各地の港湾で再開発事業を計画、鳥羽市でも1986年(昭和61年)より「鳥羽マリンタウン21」の調査検討を開始した。これは、飛鳥などの2万トン級のクルーズ客船が接岸できる国際観光埠頭を核とした約5 haの埋め立てを国・県・市が行い、イベント広場や緑地帯を整備し、民間資金を利用して8階建ての商業施設、5階建ての国際旅客センター、ホテルなどを誘致し、施設間を鳥羽駅から屋根付きの橋上通路で結ぶという計画であった。1994年(平成6年)に事業として始動、1997年(平成9年)に、ターミナルビルを3階建てに縮小するなどの変更を加えた土地利用計画書を策定1998年(平成10年)から本格的な埋立工事が始まった。埋め立てが始まった頃にはバブルが崩壊して観光客数は減少傾向にあり、隣接する志摩郡(現・志摩市)で志摩スペイン村が開業するなど観光開発が進み、鳥羽市を観光客が素通りするのではないかという危機感が広まったため、マリンタウン21に懸ける観光事業者の期待は大きかった。2001年(平成13年)6月に鳥羽商工会議所で開かれた鳥羽マリンタウン21建設促進協議会総会では、進捗率55%で、2005年(平成17年)3月の完工に向け、工事は順調であるとアピールされた。この時点のマリンタウン21の第1期工事の目玉事業は、中部国際空港への海上アクセス港を整備することであった。 ところが2002年(平成14年)に、三重県は海上アクセス港を津市に設置することを決め(後の津なぎさまち)、鳥羽市からのアクセスは伊勢湾フェリーが師崎港から中部国際空港に行き先を変更して対応することになったため、鳥羽市はターミナルビル建設計画をいったん棚上げし、三重県は第1期完工を2008年(平成20年)度に遅らせる判断を下した。しかし2008年(平成20年)度中にも完工せず、2010年(平成22年)度へと再延期された。この間、マリンタウン21に関連して、2006年(平成18年)12月15日に行われた第8回とばみなとまちづくり市民協議会では、市民から佐田浜の砂浜の再現を求める意見が多く挙がった。しかし内藤廣を座長とする「とばみなとまちづくり検討会議」が2007年(平成19年)5月にまとめた佐田浜の再開発案は、「利害関係者に相談なく市が勝手に構想を描いた」、「計画中止も含め検討すべき」などと反発が強く、計画は頓挫した。2008年(平成20年)1月15日には、鳥羽パールビルが閉館した。 2009年(平成21年)10月1日付の『広報とば』で、マリンターミナルの基本設計内容が市民に公表され、2010年(平成22年)3月にターミナル建設工事が着工し、2011年(平成23年)2月に竣工した。
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