マリンタウン21とは? わかりやすく解説

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マリンタウン21(1985-2011)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 14:07 UTC 版)

佐田浜」の記事における「マリンタウン21(1985-2011)」の解説

1985年昭和60年12月佐田浜桟橋浮桟橋変更された。同年運輸省は「長期港湾整備計画策定し日本各地港湾再開発事業計画鳥羽市でも1986年昭和61年)より「鳥羽マリンタウン21」の調査検討開始した。これは、飛鳥などの2万トン級のクルーズ客船接岸できる国際観光埠頭とした約5 ha埋め立てを国・県・市が行い、イベント広場緑地帯整備し民間資金利用して8階建ての商業施設5階建ての国際旅客センターホテルなどを誘致し施設間を鳥羽駅から屋根付き橋上通路で結ぶという計画であった1994年平成6年)に事業として始動1997年平成9年)に、ターミナルビル3階建て縮小するなどの変更加えた土地利用計画書を策定1998年平成10年)から本格的な埋立工事始まった埋め立て始まった頃にはバブル崩壊して観光客数減少傾向にあり、隣接する志摩郡(現・志摩市)で志摩スペイン村開業するなど観光開発進み鳥羽市観光客素通りするではないかという危機感広まったため、マリンタウン21に懸ける観光事業者の期待大きかった2001年平成13年6月鳥羽商工会議所開かれた鳥羽マリンタウン21建設促進協議会総会では、進捗率55%で、2005年平成17年3月完工に向け、工事は順調であるとアピールされた。この時点のマリンタウン21の第1期工事目玉事業は、中部国際空港への海上アクセス港を整備することであった。 ところが2002年平成14年)に、三重県海上アクセス港を津市設置することを決め(後の津なぎさまち)、鳥羽市からのアクセス伊勢湾フェリー師崎港から中部国際空港行き先変更して対応することになったため、鳥羽市ターミナルビル建設計画をいったん棚上げし、三重県第1期完工2008年平成20年)度に遅らせる判断下した。しかし2008年平成20年)度中にも完工せず、2010年平成22年)度へと再延期された。この間、マリンタウン21に関連して2006年平成18年12月15日行われた第8回とばみなとまちづくり市民協議会では、市民から佐田浜砂浜再現求め意見多く挙がった。しかし内藤廣座長とする「とばみなとまちづくり検討会議」が2007年平成19年5月にまとめた佐田浜再開発案は、「利害関係者相談なく市が勝手に構想描いた」、「計画中止含め検討すべき」などと反発強く計画頓挫した2008年平成20年1月15日には、鳥羽パールビル閉館した2009年平成21年10月1日付の『広報とば』で、マリンターミナル基本設計内容市民公表され2010年平成22年3月ターミナル建設工事着工し2011年平成23年2月竣工した

※この「マリンタウン21(1985-2011)」の解説は、「佐田浜」の解説の一部です。
「マリンタウン21(1985-2011)」を含む「佐田浜」の記事については、「佐田浜」の概要を参照ください。

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