マリインスキー劇場とバレエリュスとは? わかりやすく解説

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マリインスキー劇場とバレエ・リュス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 09:17 UTC 版)

オリガ・スペシフツェワ」の記事における「マリインスキー劇場とバレエ・リュス」の解説

舞踊学校卒業公演では、クリチェフスカヤ振付の『白夜物語』という作品白夜女王役を踊った。兄と姉は舞踊学校卒業後マリインスキー劇場踊り手となっていた。スペシフツェワも1913年卒業後に同じくマリインスキー劇場踊り手となり、コール・ド・バレエ一員となったマリインスキー劇場での最初の舞台は『ライモンダ第2幕ヴァリアシオンで、すでにソリスト同等扱い受けていた。マリインスキー劇場では、同じ1913年春にアンナ・パヴロワ劇場から永遠に去りタマーラ・カルサヴィナ在籍していたというものの活動の場西ヨーロッパ移していたため、昇進早かった時代戦時色深めていき、やがて第一次世界大戦突入したが、戦争中マリインスキー劇場1日たりとも休まず公演続行していた。 スペシフツェワは1916年に『アルレキナーダ』、『バヤデルカ』を踊って第1舞踊となった同年アメリカ合衆国からウィリアム・ガードという人物がスペシフツェワのもとを訪れたガードメトロポリタン歌劇場関係者で、彼女にバレエ・リュスアメリカ巡演への出演要請した。ヴォルィンスキーはクラシック・バレエの熱心な支持者であり、したがってバレエ・リュス主導するセルゲイ・ディアギレフ大嫌いだった。ヴォルィンスキーはガード誘い乗らないようにスペシフツェワを説得したものの、結局彼女はバレエ・リュスアメリカ巡演参加することになったバレエ・リュス戦火のさなかにあるヨーロッパを後にして、1年以上に及ぶアメリカで巡演向かった。この公演ではカルサヴィナとヴァーツラフ・ニジンスキー出演させることになっていたが、カルサヴィナはロシア離れることを嫌がったために彼女に代わるバレリーナ探す必要があった。そのため、ガードはスペシフツェワに接近したのだった。 スペシフツェワはニジンスキー相手役として『薔薇の精』、『魔法かけられ王女』などで共演した。ただし、バレエ・リュストップスターあくまでもニジンスキーであって、スペシフツェワの立場は「添え物」に過ぎずニジンスキーは彼女がカーテンコールに2回以上出るのを禁じたという。スペシフツェワはバレエ・リュスとともにアメリカ1年わたって巡演したが、その日々は幸福なものではなかった。 アメリカ巡演終えたスペシフツェワがロシアに戻ると、サンクトペテルブルクペトログラードと名称が変わっていた。革命勃発後、マリインスキー劇場は「国立オペラ・バレエ劇場」(GATOB)と名称を変更したが、レパートリーとして引き続き古典バレエ上演し続けた。スペシフツェワは看板スターとなってくるみ割り人形』の金平糖の精、『パキータ』のグラン・パ、『エスメラルダ』のタイトル・ロールなどの重要な役柄踊っていた。この頃、自らの技術不足を克服するため、改めアグリッピナ・ワガノワレッスンを受けるようになった1919年、スペシフツェワは後に最大当たり役評価されるジゼル』のタイトル・ロール初め踊って称賛受けた1920年にはプリマ・バレリーナ昇格して海賊』のメドーラ、『バヤデルカ』のニキヤなどを踊ったものの、結核罹患して一時再起さえ危ぶまれた。この病は転地療養快復し舞台に戻ることができた。ヴォルインスキーとの関係は、十月革命後終わっていた。 1921年、スペシフツェワは再びディアギレフからバレエ・リュスへの出演交渉受けたバレエ・リュスロンドンで『眠り姫の上演を計画していて、彼女を主役迎えようとしていた。ヴォルィンスキーは今回反対したものの、スペシフツェワはロンドン行き決行した。この時期にスペシフツェワが国外へ自由に往来できたのは、共産党幹部との間に特別な関係があったためとされる当時のスペシフツェワは、共産党幹部のボリス・カプルーン(グリゴリー・ジノヴィエフ部下)という人物の愛人であった。後にカプルーンはスペシフツェワを捨て、この痛手が彼女の生涯暗い影を落とすことになったディアギレフロンドン公演で、彼女の名を発音しやすい「スペシーヴァ」として宣伝打った。スペシフツェワはヴェーラ・トレフィロワ(英語版)、リュボーフィ・エゴロワなどと交代オーロラ姫踊ったが、批評家の彼女に対す評価褒める者もいればけなす者もいたといい、トレフィロワが一番高い評価得ていた。

※この「マリインスキー劇場とバレエ・リュス」の解説は、「オリガ・スペシフツェワ」の解説の一部です。
「マリインスキー劇場とバレエ・リュス」を含む「オリガ・スペシフツェワ」の記事については、「オリガ・スペシフツェワ」の概要を参照ください。

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