マリインスキー劇場とバレエ・リュス
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「オリガ・スペシフツェワ」の記事における「マリインスキー劇場とバレエ・リュス」の解説
舞踊学校の卒業公演では、クリチェフスカヤ振付の『白夜物語』という作品で白夜の女王役を踊った。兄と姉は舞踊学校卒業後にマリインスキー劇場の踊り手となっていた。スペシフツェワも1913年の卒業後に同じくマリインスキー劇場の踊り手となり、コール・ド・バレエの一員となった。マリインスキー劇場での最初の舞台は『ライモンダ』第2幕のヴァリアシオンで、すでにソリストと同等の扱いを受けていた。マリインスキー劇場では、同じ1913年の春にアンナ・パヴロワが劇場から永遠に去り、タマーラ・カルサヴィナも在籍していたというものの活動の場を西ヨーロッパに移していたため、昇進は早かった。時代は戦時色を深めていき、やがて第一次世界大戦に突入したが、戦争中もマリインスキー劇場は1日たりとも休まずに公演を続行していた。 スペシフツェワは1916年に『アルレキナーダ』、『バヤデルカ』を踊って第1舞踊手となった。同年、アメリカ合衆国からウィリアム・ガードという人物がスペシフツェワのもとを訪れた。ガードはメトロポリタン歌劇場の関係者で、彼女にバレエ・リュスのアメリカ巡演への出演を要請した。ヴォルィンスキーはクラシック・バレエの熱心な支持者であり、したがってバレエ・リュスを主導するセルゲイ・ディアギレフが大嫌いだった。ヴォルィンスキーはガードの誘いに乗らないようにスペシフツェワを説得したものの、結局彼女はバレエ・リュスのアメリカ巡演に参加することになった。 バレエ・リュスは戦火のさなかにあるヨーロッパを後にして、1年以上に及ぶアメリカでの巡演に向かった。この公演ではカルサヴィナとヴァーツラフ・ニジンスキーを出演させることになっていたが、カルサヴィナはロシアを離れることを嫌がったために彼女に代わるバレリーナを探す必要があった。そのため、ガードはスペシフツェワに接近したのだった。 スペシフツェワはニジンスキーの相手役として『薔薇の精』、『魔法にかけられた王女』などで共演した。ただし、バレエ・リュスのトップスターはあくまでもニジンスキーであって、スペシフツェワの立場は「添え物」に過ぎず、ニジンスキーは彼女がカーテンコールに2回以上出るのを禁じたという。スペシフツェワはバレエ・リュスとともにアメリカを1年にわたって巡演したが、その日々は幸福なものではなかった。 アメリカ巡演を終えたスペシフツェワがロシアに戻ると、サンクトペテルブルクはペトログラードと名称が変わっていた。革命勃発後、マリインスキー劇場は「国立オペラ・バレエ劇場」(GATOB)と名称を変更したが、レパートリーとして引き続き古典バレエを上演し続けた。スペシフツェワは看板スターとなって『くるみ割り人形』の金平糖の精、『パキータ』のグラン・パ、『エスメラルダ』のタイトル・ロールなどの重要な役柄を踊っていた。この頃、自らの技術不足を克服するため、改めてアグリッピナ・ワガノワのレッスンを受けるようになった。 1919年、スペシフツェワは後に最大の当たり役と評価される『ジゼル』のタイトル・ロールを初めて踊って称賛を受けた。1920年にはプリマ・バレリーナに昇格して『海賊』のメドーラ、『バヤデルカ』のニキヤなどを踊ったものの、結核に罹患して一時は再起さえ危ぶまれた。この病は転地療養で快復し、舞台に戻ることができた。ヴォルインスキーとの関係は、十月革命後に終わっていた。 1921年、スペシフツェワは再びディアギレフからバレエ・リュスへの出演交渉を受けた。バレエ・リュスはロンドンで『眠り姫』の上演を計画していて、彼女を主役に迎えようとしていた。ヴォルィンスキーは今回も反対したものの、スペシフツェワはロンドン行きを決行した。この時期にスペシフツェワが国外へ自由に往来できたのは、共産党幹部との間に特別な関係があったためとされる。当時のスペシフツェワは、共産党幹部のボリス・カプルーン(グリゴリー・ジノヴィエフの部下)という人物の愛人であった。後にカプルーンはスペシフツェワを捨て、この痛手が彼女の生涯に暗い影を落とすことになった。 ディアギレフはロンドン公演で、彼女の名を発音しやすい「スペシーヴァ」として宣伝を打った。スペシフツェワはヴェーラ・トレフィロワ(英語版)、リュボーフィ・エゴロワなどと交代でオーロラ姫を踊ったが、批評家の彼女に対する評価は褒める者もいればけなす者もいたといい、トレフィロワが一番高い評価を得ていた。
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