プロパガンダ映画の制作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 05:05 UTC 版)
「ウォルト・ディズニー」の記事における「プロパガンダ映画の制作」の解説
1941年12月8日の太平洋戦争の開戦と第二次世界大戦へ参戦したアメリカは戦時体制への協力を国内産業へ求め、映画産業に対しても協力を要請したが当初は成功しなかった。これは検閲や行政指導ができないことに加え、高度に資本化された映画産業は政府の要請よりも利潤追求を優先させる体制となっていたためである。 しかし、ディズニーは大衆がヨーロッパに関心を持ちはじめていると気づくと「反ドイツ」の色を薄めた「反ナチス」の形で戦意高揚のプロパガンダ映画を制作した。大衆文化史の研究者には、ディズニーが孤立主義から友邦の援助へ大衆の意識が変わっていたのを見抜いた上で統合の象徴としてミッキーを選択させたことや、彼の没した今日でもミッキーマウスは「アメリカの象徴」として自己増殖を続けている、と指摘する者がいる。 政治家や政府のプロパガンダで大衆を説得することは難しい(出典『心理戦争』)。しかし大衆自身が願う形へとミッキーを作り変える作業を続けたことでディズニーは成功を収め、同時にアメリカ政府を顧客とすることにも成功した。当時のウォルトディズニー社は「白雪姫」の大ヒットで得た莫大な収益を注ぎ込んで製作した「ピノキオ」や「ファンタジア」がヒットしなかったため、たちまち膨大な借金を抱える羽目になり、さらにヨーロッパが戦争中であったため映画の輸出もできなくなり、株価は1株25ドルから4ドルにまで大暴落して会社は倒産の危機に陥ったが、政府のプロパガンダ映画を制作することである程度の収益を得て経営を建て直すことができたので、戦後も引き続きディズニーは経営の安定化のために政府の核実験、原子力開発キャンペーン用のen:Our Friend the Atom(我が友原子力)という映画を作成するなどでプロパガンダに協力した。 第二次世界大戦当時に同スタジオで製作された以下のアニメーション映画には、ミッキーマウスが戦闘機で日本軍の零戦を撃墜するシーンがあり、ドナルドダックのアニメ映画「総統の顔」には東條英機や昭和天皇を風刺するシーンがあるが、これらは政府の要請や強制によるものではなく、ウォルトが自らの信念に基づいて制作したものである。 空軍力の勝利 Victory Through Airpower(1943年) 新しい精神 The New spirit(1943年) これらのほかにも、文字を用いずに漫画のコマ割り風にイラストで説明した簡易型拳銃FP-45のマニュアルや、兵士向けのボーイズ対戦車ライフルの映像教材などといった細かな依頼も引き受けている。
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