フィリピンゲリラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 00:44 UTC 版)
フィリピン奪還を目指していたマッカーサーは、この日本軍に対するフィリピン人の反感を巧みに利用し、大量の武器を与えてゲリラとして組織化した。マッカーサーは潜水艦で大量の武器を送り込むと、捕虜収容所から脱走したアメリカ兵にフィリピンゲリラを支援させたが、重火器はないものの自動小銃や短機関銃を大量に供給されたゲリラの火器装備は90%を超えており、支配者である日本軍より火力に優れているといった有様だった。アメリカ軍がレイテ島に上陸する前には30万人以上の武装ゲリラが存在して日本軍と戦闘を開始しており、日本軍が掌握できていたのはフィリピンのわずか30%に過ぎなかった。ゲリラといっても、アメリカ軍の指揮・命令を受けていたユサッフェはフィリピン人のアメリカ陸軍正規兵であるフィリピン・スカウト(英語版)と同じ扱いであって、アメリカ本国から階級の昇進や任免まで行われていた。マッカーサーは正規軍であるユサッフェを通常の軍事作戦に投入し、アメリカ軍が日本軍前線に進攻すると陣地後方から攻撃させ、空挺部隊が降下してくるときには事前に降下地の日本軍を掃討させていた。 ただし、正規兵扱いと言っても全員が軍服を着用しているのではなく、むしろ一般市民に溶け込むような活動を行い、またゲリラの支援者は、アメリカ正規軍扱いではないフクバラハップゲリラを含めると、国民の大多数にあたる1,700万人にも達していたという推計もあって、日本軍にゲリラとその支援者と一般市民を見分ける手段はなく、ゲリラ討伐として、実際のゲリラの他に無辜の一般市民も大量に虐殺した。日本軍兵士は多くの戦友や一般の邦人をゲリラに殺害されており、その報復としてゲリラ討伐が激しくなっていったという指摘もある。特にマニラの戦いではアメリカ軍とゲリラに追い詰められた日本軍が見境なく多くのマニラ市民を虐殺することとなった。マッカーサーは日本軍のゲリラ討伐を「強力で無慈悲な戦力が野蛮な手段に訴えた」などと激しく非難したが、その無武装で弱き者を武装させてけしかけたのはマッカーサーであり、また日本軍と戦ったゲリラの多くが実際にはアメリカ正規軍のようなものであった。戦後にフィリピンでの虐殺の罪を問われて戦犯となった第14方面軍司令官山下の裁判では、山下の弁護側から、マッカーサーの父アーサー・マッカーサー・ジュニアがフィリピンのアメリカ軍の司令官として、米比戦争などフィリピンの独立運動を弾圧した時の例を出され「血なまぐさい『フィリピンの反乱』の期間、フィリピンを鎮圧するために、アメリカ人が考案し用いられた方法を、日本軍は模倣したようなものである」「アメリカ軍の討伐隊の指揮官スミス准将は「小銃を持てる者は全て殺せ」という命令を出した」と指摘されている。しかし、マッカーサーは初めから山下に全責任を押し付けようと考えており、マッカーサーの息のかかった法曹経験が全くない職業軍人を裁判官とした典型的なカンガルー法廷(似非裁判:法律を無視して行われる私的裁判)で山下を死刑に処した。
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