バドリオ政権下での幽閉とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > バドリオ政権下での幽閉の意味・解説 

バドリオ政権下での幽閉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 02:33 UTC 版)

ベニート・ムッソリーニ」の記事における「バドリオ政権下での幽閉」の解説

1943年7月27日名目上ムッソリーニ身辺警護理由擬装用の救急車海軍基地護送され、そこから輸送艦ティレニア海島々幽閉された。最初に軟禁されポンツァ島では準備が間に合わず使われていない無人古民家用意された。風呂使えないなど粗末な建物であったが、監視についた下士官達はムッソリーニ敬意払い書物衣服差し入れなど軟禁生活を手助けした数日後により厳重な警備が行われているラ・マッダレーナ島移動し、そこでは海軍将校用の邸宅提供され新聞などを購読することも許可された。激務から中断していた読書執筆専念する日々送りこれまでの国家指導について見つめ直す機会得て今後ファシズム運動のあり方について思索行っている。 幽閉されている間にも外部では政治情勢混迷続けていた。バドリオ首相閣僚評議会議長ではなくムッソリーニ同じく首席宰相及び国務大臣イタリア語版)の地位就任して国家ファシスト党による独裁倣った軍部独裁志向した。その為、バドリオ政権ボノーミらを初めとする議会制民主主義復権求め政治家達から積極的な協力得られなかった。サヴォイア家筆頭とする王党派協力している為、共産主義共和主義反乱勢力から敵視された点でも同様であった。またバドリオ国家ファシスト党PNF)とその青年組織リットリオ青年団英語版)の解散、及びチアーノファシスト党幹部資産没収、ファシスト・コーポラティズム議会イタリア語版)、大評議会国家特別裁判所廃止などを行いファシスト勢力とも全面的に対立したちなみに資産没収名分は不正蓄財調査だったが、自身ファシスト政権下で蓄えた膨大な財産不問とした。 ムッソリーニ解任激怒したヒトラーイタリアへ進駐計画しているとの報告届いていた。ヒトラーバドリオを「我らの最も残酷なる敵」と呼び南仏続いて北伊への進駐計画アラリック作戦」の発動計画していた。アラリック作戦は「イタリア戦争離脱決定的になった時」を前提としていたが、平静さ失っていたヒトラー如何なる犠牲払って進駐バドリオ政権関係者拘束する様に命じそればかりかクーデター協力した考えていたカトリック教会の「ならず者共」を捕らえるべくヴァチカン占領命じている。しかしエルヴィン・ロンメルやケッセルリンクなどイタリア戦線指揮官達からは準備不足であると反対されてしまい、当面の間バドリオ政権動き注視し、またムッソリーニ軟禁先を調査することを決定した最初から支持基盤欠いた政権であったことに加えてムッソリーニ比べて決断力のないバドリオ個人政治的資質もあり、枢軸国連合国との間に挟まれ状況下での休戦交渉暗礁に乗り上げた連合国側アメリカ大統領ルーズベルトイギリス首相チャーチル枢軸国には無条件降伏以外を基本的に認めない姿勢取ったことも二の足踏ませる原因になっていた。君主たるエマヌエーレ3世戦争継続降伏のどちらを選ぶべきかこの期に及んで悩んでいたが、7月28日になってバドリオに対して休戦交渉勅命下した7月29日休戦交渉決定翌日ムッソリーニ六十歳誕生日迎えると、沈黙するイタリア政府とは対照的にドイツ政府公然とムッソリーニ誕生日祝いクーデター承認しない姿勢明瞭に示したヘルマン・ゲーリング国家元帥からは祝電送られヒトラーからは特別に装丁されニーチェ全集手紙添えて贈られた。

※この「バドリオ政権下での幽閉」の解説は、「ベニート・ムッソリーニ」の解説の一部です。
「バドリオ政権下での幽閉」を含む「ベニート・ムッソリーニ」の記事については、「ベニート・ムッソリーニ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「バドリオ政権下での幽閉」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「バドリオ政権下での幽閉」の関連用語

バドリオ政権下での幽閉のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



バドリオ政権下での幽閉のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのベニート・ムッソリーニ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS