バドミントン選手活動
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ペア結成以前 潮田玲子#バドミントン選手活動、池田信太郎#経歴を参照。 ペア結成後 2009年 4月24日にペア結成を発表。ペアの愛称も募る。6月4日、愛称をイケシオに決定したことを発表。 5月、男女国別対抗戦のスディルマン杯に起用され初試合。混合ダブルスの練習を始めて2週間ほどしか経っていなかったが、第一試合の対インドネシア戦で、当時の世界ランキング1位のペアにから1ゲームをとるなど善戦する。しかし同じダブルスでも男子、女子ダブルスとは動きが大きく異なる同種目での経験不足はやはり大きく、その後の国際大会では予選を突破しても本戦では一勝もあげられずにいた。 9月、池田が体力的問題を考慮し男子ダブルスを解消したことにより、双方ともに混合ダブルスのみに強化を集中することになった。 同月、国内デビュー戦となった全日本社会人大会では、海外経験がなくも混合の経験があるペアに苦戦を強いられたりものの、決勝戦では優勝筆頭候補の平田典靖(トナミ運輸)・前田美順(NEC SKY)ペアを1時間25分に及ぶ熱闘のうえファイナルで下し、初優勝を遂げた。 2010年 国際大会では、スーパーシリーズで成績が振るわなかったものの、1ランク下のグランプリゴールド大会であるベトナム・オープンで3位、オランダ・オープンで準優勝と結果を残した。 国内大会では、日本ランキングサーキット大会で優勝したが、全日本総合選手権で、2年連続平田典靖・前田美順ペアに決勝で敗れ、準優勝に終わった。 2011年 国際大会では、前年よりも多くの大会に参加し、デンマーク・オープンで、スーパーシリーズ初のベスト8入りを果たす。スーパーシリーズ12大会の成績によるポイント上位8組のみが出場できる、BWFスーパーシリーズファイナルズにも、8番目のポイントで出場権を獲得。予選リーグを突破しベスト4に進出した。この結果、12月22日付世界ランキングでは自己最高の8位まで上がった。 国内大会では、前年まで2年連続準優勝であった全日本総合選手権で初優勝した。 2012年 世界ランクング上位をキープし、4月に行われたオリンピック選考レース最終戦のインド・オープンでベスト8入りしたことにより、選考基準 となる5月3日付世界ランキングで11位になり、ロンドンオリンピック出場を決めた。 7月10日、潮田がロンドンオリンピック後のヨネックスオープンジャパンを最後に、現役を引退する意向を表明した。 8月3日、ロンドンオリンピック、1勝2敗で1次リーグ敗退。ベスト8入りせず。
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