バドミントンの経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/31 20:45 UTC 版)
両親がバドミントンプレーヤーだったこともあり、10歳の時にバドミントンを始める。小学生の時に全小シングルスで3位入賞。中学時は全中シングルスベスト8、高校時はインターハイシングルス準決勝で佐藤翔治に当たりファイナルまでいくが敗れる。高校卒業後は日本大学に進学し、2002年〜2004年のインカレでダブルス3連覇を成し遂げる。大学卒業後に名門NTT東日本に入社し、全日本総合バドミントン選手権大会では2006年に男子ダブルス準優勝、翌年の2007年には男子ダブルス優勝を果たす。 バドミントン日本代表ナショナルチームメンバーに選出され、同僚の佐藤翔治とペアを組んで男子ダブルスでのロンドンオリンピック出場を勝ち取った。
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バドミントンの経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/12 03:18 UTC 版)
母親がバドミントンをやっていたので連れて行ってもらい、8歳からバドミントンを始める。当時は双子の妹と競っていた。小学校時代はバドミントンジュニアの「京都クラブ」・「どんぐりクラブ」・「城野クラブ」チームに所属。中学生時代には全国中学生選手権シングルスで優勝。高校時代にはインターハイで優勝。「私の夢はオリンピックに出場し、メダルを獲得すること」と語っていた。 三洋電機に入社当初はダブルス・シングルスともに活躍。ダブルスでは会社の先輩である鬼池めぐみ選手と組んでいた。2001年には日本人として14年ぶりにヨネックスオープンジャパンで第3位に入賞した。また、全日本総合でも優勝を勝ち取った。 2004年にはアテネオリンピックに出場。日本代表選手が組み合わせに恵まれなかった中で唯一勝ち星を挙げ2回戦に進出している。その後、2006年にはユーバー杯、アジア選手権に出場。2008年の北京五輪に向けて世界ランキングを上げていたものの、わずかの差で出場を逃した。
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