バターフィールドの科学革命
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「科学革命」の記事における「バターフィールドの科学革命」の解説
イギリスの科学史家H.バターフィールドが提唱した「科学革命は、主に17世紀に生じた科学の大規模な変革を指す固有名詞である。バターフィールドは、1949年の著作『近代科学の誕生』The Origins of Modern Science において、近代を画する時代区分点として、従来のルネサンスや宗教改革よりも、17世紀の近代科学の成立という事象をあて、これを産業革命にならって「科学革命」と呼称した。 バターフィールドには、従来の歴史観があまりにもヨーロッパ中心的であり、歴史の実情からは遠いという反省があった。彼は、17世紀に近代科学が出現するまでのヨーロッパ文明は、世界史の中で必ずしも指導的な立場にはなかったという論点に立ったのである。 この時期に起こった明確な科学の変革はまず、従来の宇宙体系の変革にあった。それ以前の天動説に立った宇宙観が捨てられ、地動説への転換がなされたのである。これにもとづけば、科学革命の中心的な担い手はポーランドのコペルニクス、ドイツのケプラー、イタリアのガリレイ、イングランドのニュートンの4名であった。地動説は、単に惑星位置の計算方法の変更にとどまらず、当時の宇宙観そのものの転換に大きな影響を与えた。また、ガリレイによる自由落下運動の法則などの力学的な発見は、従来の目的論的自然観(物体がそれぞれの目的に向かって運動するというアリストテレス的な自然観)に変更をせまるものであり、万有引力の発見などをはじめとするニュートン力学の発表は、近代的な機械論的自然観の提唱につながり、また、これまで地上のものと天上のものとを二分してきたキリスト教的世界観をくつがえした一方、多くの技術革新を導き、18世紀における蒸気機関の開発、さらには産業革命へとつながった。 誰にでも再現可能な方法、すなわち実験や観察によって自説の正しさを証明するという方法が採用されはじめたのもまた、この時代からであった。それ以前は、経験知を軽視して純論理的な哲学的真理が追究され、科学的な証明方法は充分に確立されていなかった。ガリレイは、その著作のなかで実際に球を転がし、振り子を往復させた結果を記述し、読者に再現可能な実験の方法と結果を提示することによって自説の正しさを証明した。また、ケプラーはルドルフ星表を作り、天動説よりも地動説の方が、より精密に惑星の運行を計算できることを明示した。これらの手法は哲学にも大きな影響を与え、科学哲学の成立を促した。 バターフィールドは、『近代科学の誕生』のなかで「この革命(科学革命)は近代世界と近代精神の真の生みの親として大きく浮かび上がってきた」と述べ、科学革命の意義と歴史的重要性を説いたのである。
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