ニュータイプの概念変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 23:10 UTC 版)
「ニュータイプ」の記事における「ニュータイプの概念変化」の解説
アニメ映画『機動戦士ガンダムII 哀・戦士編』の時代・U.C.0079では、レビル将軍は軍の公式見解ではなく私見と断った上で、「ニュータイプとは直感力と洞察力に優れた人間と考えている」と述べた。また、『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』では、「ニュータイプ≠超能力者」であると述べている。彼によれば、ニュータイプとは「戦争を必要としない人間」なのだという。 『機動戦士ガンダムUC』の時代・U.C.0096では既に、作品世界内の大衆世論は「明確な定義を持たず可能性しか示さないニュータイプに飽き」ており「撃墜王と同義」程度の認識になっていることがカーディアス・ビストの口から語られた。 シャア・アズナブルやアムロ・レイなどが世にニュータイプという存在を知らしめ消息を絶ってから30年を経た『機動戦士ガンダムF91』の時代・U.C.0123では、一般市民の間でニュータイプという概念そのものが薄れており、戦時下でニュータイプ能力を覚醒させていったシーブック・アノーもニュータイプとは「パイロット適性がある人」という程度の捉え方をしていた。ただし、ザビーネ・シャルはMSに乗ってすぐに編隊を組んだセシリー・フェアチャイルドを見て、「ニュータイプはあるがままを見ただけで、そのものの本質を洞察できると云われているが、信じたくなった」と語っており、本来の意味付けに近いニュータイプ観を受け継いでいる人々も少なからず存在している。 『ガンダムF91』から80年ほど経った『ガイア・ギア』においては、アフランシ・シャアやウル・ウリアンといったニュータイプが出現している。同作ではニュータイプの考えが多様化しており、地球連邦政府の警察機構マハでは、スペース・コロニーという温室が、治療の根本を考え直させ免疫不全症を押さえる治療が完成した後、人類は自由になったが何をしたらいいか分からなくなって趣味の自殺までが流行る時代となった。この汚染された環境を乗り越える理性を持っているとされる人々がニュータイプであると考えられていた。また、ニュータイプは絶対安心の境地で死に至るまで、幸福でいられる人間である。イエス・キリストのようであっても、十字架にかけられることなく、キリストであり続けられるのが真のニュータイプであるとも考えられていた。地球の特別区で育った少女エヴァリー・キーは、ニュータイプは善き人々で誤解せずに理解しあえ、永遠に共存し得る人々だと考えていた。反地球連邦組織メタトロン では、ニュータイプになるには、現在の問題がどこにあるのかを見極め、その夾雑物を排除する訓練をするしかない。その過程で、理性と想像力を強化すれば、人類全てがニュータイプになれると思われていた。また同組織では、ニュータイプの能力というのは武術と同じように、個にしか向かわないという問題がある。ニュータイプになった方法というのは、他人には伝えられず、あくまでも個として、習練しなければならないもので、組織に敷衍させられる能力ではないと考えられていた。
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