ニューウェーブ北九州
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 00:27 UTC 版)
「三菱化成黒崎サッカー部」の記事における「ニューウェーブ北九州」の解説
2001年、地域密着型のサッカー・スポーツクラブの創設を目標として、北九州市と地元企業などが共同で特定非営利活動法人北九州フットボールクラブ(北九州FC)を創設し、当時九州リーグに所属していた三菱化学黒崎フットボールクラブの運営を北九州FCに移し、チーム名を「ニューウェーブ北九州」に改め、北九州FCのトップチームになった。元々ニューウェーブ北九州という名前は、北九州市長杯争奪北九州招待サッカー大会に出場するため三菱化成黒崎サッカー部と新日鐵八幡サッカー部から選出された北九州市選抜チームに対して付けられていた名前であった。 クラブは「北九州からJリーグチームを」というスローガンを掲げ当初からトップチームのJリーグ参加を目指し、地元資本である井筒屋やゼンリンなどのスポンサードを受けたり、北九州市内に設置されているコカ・コーラの自動販売機の売上の一部が運営費に贈られた。 2005年、サガン鳥栖元監督で北九州市出身の千疋美徳が監督に就任。リーグ戦は6位の成績。 2006年、千疋が監督を続投し、従来からのスポンサーに加え北九州市からの支援も受けた。リーグ戦は3位、全国社会人サッカー選手権大会は準決勝で静岡FCに敗れた。福岡県サッカー選手権大会(兼第86回天皇杯全日本サッカー選手権大会福岡県予選)は東海大五高校に敗れた。 2007年、千疋が監督を退任し(コーチに就任)、後任に前年までFC琉球の監督だった与那城ジョージが就任。選手もJリーグ経験者のFW藤吉信次、GK水原大樹、クラブ史上初のブラジル人選手となるDFドグラスら全選手の半数近くとなる10人(途中、DFタチコが入団)が加入した。リーグ戦は21節時点で第31回全国地域リーグ決勝大会の出場圏内の2位以上を確定させ、さらに22節に勝利して前身時代以来18年ぶりの九州リーグ優勝を決めた。地域決勝大会は得失点差でファジアーノ岡山FCに次ぐ2位。2008年からの日本フットボールリーグ(JFL)昇格が決まった。なお、北九州市を本拠とするチームとしては日本サッカーリーグ2部から九州サッカーリーグに新日鉄八幡サッカー部が降格した1991年以来17年ぶりの全国リーグ所属チームとなった。 2008年2月、Jリーグ準加盟クラブとして承認された。JFLリーグ戦でのホームゲームの入場者数が毎試合1,000人前後で、最も入場者の多かったMIOびわこ草津戦も1,752人で、8月26日のJリーグによる予備審査で経営状況などの面で基準に劣ると判断された。 初出場となった天皇杯全日本サッカー選手権大会(前身の三菱化成黒崎時代を含めると18年ぶり5回目)では、1回戦でホンダロックSCにPK戦で勝利(三菱化成黒崎時代も含めて大会初勝利)、2回戦も三菱重工長崎サッカー部を破ったが、3回戦でベガルタ仙台に敗れた。 ウィキニュースに関連記事があります。Jリーグ準加盟に北九州、富山承認 琉球は見送り 北九州・本城スタジアムがJリーグ開催へ向けた改修へ サッカーのニューウェーブ北九州本拠地 サッカー・ニューウェーブ北九州のJ2昇格承認 - Jリーグ 2009年、与那城体制3年目。MF関光博、FW長谷川太郎などJリーグ経験者を獲得。前期は、一時は12位まで順位を下げたが8勝4分5敗の勝点28で5位。9月に徳島ヴォルティスから大島康明をレンタルで獲得。後期に入って4位以内を維持し、第16節(11月23日)でアルテ高崎を破り、年間4位以上が確定(最終順位も4位)。入場者数は、開幕戦のジェフリザーブズ戦で9,856人、前期第14節のV・ファーレン長崎戦で8,157人など、後期第15節のFC琉球戦の時点で、Jリーグ加盟基準(平均3,000人)以上の年間入場者数51,000人を突破した。11月30日のJリーグ臨時理事会で2010年からのJリーグ加盟が承認された。 天皇杯は福岡県代表として本大会に出場したが、1回戦で日本文理大学に敗退した。 2010年よりチーム名称をギラヴァンツ北九州へ改称した。以降の状況はギラヴァンツ北九州を参照のこと。
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