ニグロリーグ時代
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「サチェル・ペイジ」の記事における「ニグロリーグ時代」の解説
ニグロリーグ時代には約2500試合に登板、2000勝以上をあげ、うち完封勝利は350以上、ノーヒットノーラン55試合など、にわかには信じがたい成績が伝えられている。一説にはこれは中南米の野球チームとの交流戦などをすべて含めた数字ではないかとも言われているが、それを差し引いても傑出した名投手だったのは確かであると言える。上手、横手、下手どこからでも投げ分けることが出来、投球練習の際、ホームベース上に置いた煙草の箱の上をボールが通過するほどコントロールに優れていたという。 球速の計測記録は残っていないが、160km/hを投げていた速球王ボブ・フェラーが「サチェルの投げるボールがファストボールなら、俺の投げるボールはチェンジ・アップだよ」と発言している。フェラーの速球を見た全ての関係者が170km/hを超えていたと証言している事から、極めて速い球を投げていたと推測される。ペイジとノーラン・ライアン両者の球を受けた捕手は179km/h位ではないかとコメントしている。 記録が不確かで伝説の域を出ないが、全打者三振になりそうな試合で、最後の打者が振り逃げで28連続三振になった、9回裏にわざと走者をためて無死満塁にし、しかも野手を全員ベンチへ引き上げさせて打者に勝負を挑んだなどの逸話がある。それ以外にも「今から9人連続三振を取る」と宣言して達成したり、野手全員をマウンドの周りに座らせて投げるなどショーマンシップにも長けていた。 1930年には、メジャーリーグ選抜との交流戦で22奪三振完封勝利を記録している。しかし、ベーブ・ルースとの対戦の機会は無く、晩年になっても残念がっていたという。ただし、ベンチからペイジの投球を見ていたベーブ・ルースの顔が青ざめていったとの証言が複数残っている。なお、「記録がはっきりしている1934年は105試合で104勝を挙げている」と言われることがあるが、この年のペイジの公式戦成績については主にニグロ・リーグの強豪ピッツバーグ・クロフォーズに所属し、独立リーグのキューバン・ホース・オブ・デイヴィッドでの成績と合わせ13勝2敗という記録が残っている。
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ニグロリーグ時代
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「モンテ・アーヴィン」の記事における「ニグロリーグ時代」の解説
アーヴィンはニュージャージー州の高校で4種目のスポーツをこなし、やり投でニュージャージーの州記録を作ったこともある。高校卒業後ペンシルベニア州のリンカーン大学に通っていたが、同じ年にニグロリーグのニューアーク・イーグルスに遊撃手として入団する。入団当時は『ジミー・ネルソン』という偽名を使ってプレーし、大学にも通い続けていたという。イーグルスでは当時の監督だったウィリー・ウェルズの指導の下で遊撃手としての技術を磨き、1940年と1941年にニグロリーグ東西オールスター戦にも出場するほどに成長する。また攻撃面でも非凡なところを見せており、1940年と1941年のニグロリーグでの打率はそれぞれ.422と.396を記録した。1941年、アーヴィンはイーグルスと月165ドルの契約をしていたが、更に25ドルの昇給を求めたのをオーナーのエファ・マンリーが断ったのをきっかけに、この年のオフにメキシコリーグに参加、68試合で30本塁打、打率.398で打点もあわせてリーグの三冠王となり、最優秀選手として表彰されている。 1943年からは約3年間第二次世界大戦に出兵し陸軍に従軍、復帰後の1945年冬にプエルトリコのウィンターリーグに参加し、同年の最優秀選手となっている。ニグロリーグに復帰した1946年には打率.401で自身二度目の首位打者を獲得、この年のカンザスシティ・モナークスとのニグロ・ワールドシリーズを制覇する原動力となった。ニグロリーグのオールスターゲームには1948年までで計5回(1940年、1941年、1946年 - 1948年)出場している。 前後するが、アーヴィンは1945年に当時ブルックリン・ドジャーズの経営者だったブランチ・リッキーから入団契約の誘いを受けたことがあったが、自分はまだそのレベルにないとしてその誘いを一度断っている。しかし『カラーライン』が破られた1948年のシーズンオフにキューバでのウィンターリーグに参加した後、ニューヨーク・ジャイアンツが5,000ドルの契約金を支払い、アーヴィンはメジャーリーグ入りを果たすことになる。
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