トヨタ組立工場
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「マーサ・レイン・コリンズ」の記事における「トヨタ組立工場」の解説
1985年3月、コリンズは日本に対して数回行った貿易使節団派遣の1回目を行った。同年10月にも再訪し、さらに中国も訪れた。これはケンタッキー州知事として初めてのことであり、ケンタッキー州のために中国市場を開放することを奨励し、中国の江西省と姉妹州の関係を構築した。コリンズの日本に対する働きかけで、トヨタ自動車が8億ドルを投資してジョージタウンに組立工場を建設することを決断させるという、知事として最も意義ある業績を挙げた。公開された報告書に拠れば、ケンタッキー州という立地はインディアナ州、ミズーリ州、テネシー州、カンザス州と比較して選択されたということである。 トヨタとの合意はコリンズと商務長官のキャロル・ナイスリーがトヨタに約束した1億2,500万ドルのインセンティブを議会が承認することが必要だった。これにはトヨタに与えられる土地1,600エーカー (6.5 km2) の購入と改良費用3,500万ドル、従業員の初期訓練費3,300万ドル、従業員の能力開発センター建設のために1,000万ドル、工場用地近くでの高規格道路改良費用に4,700万米ドルが含まれていた。このインセンティブは一括して1986年に議会に拠って承認された。州検事総長のデイビッド・L・アームストロングは、これが州財務官から一私企業への贈呈となることで州憲法に触れるのではないかと懸念を表明したが、議会は「憲法に沿った政治な行動を」したと判断された。 アームストロングの懸念があったので、コリンズ内閣は総合顧問のJ・パトリック・アベルを雇って、インセンティブ全体の合憲性について友好的試問を行わせるよう手配した。この手続きが中断されている間に、「レキシントン・ヘラルド・リーダー」が、内閣はその費用見積もりにおいて資金を手当てするために使われる債券の利子を含めていなかったと報告した。これに加えて「レキシントン・ヘラルド・リーダー」が報告した費用超過が、1986年9月下旬までに全体費用を約3億5,400万ドルまで押し上げていた。10月、トヨタは建設用地準備のために超過した費用を負担することに合意した。 トヨタに対する経済誘致の反対者も州の試問に加わった。1986年10月、フランクリン郡巡回裁判所判事レイ・コーンズが、包括インセンティブは州憲法に違背していないという第一審判決を出したが、原告被告ともに最高裁判所に最終審判決を出してもらうことを求めた。1987年6月11日、ケンタッキー州最高裁判所は4対3の票決で、包括インセンティブは公衆の目的に適うものであり、それ故に合憲であるという裁定を下した。反対意見の多くは、トヨタが州全体に組立工場を配置したときに下火になった。コリンズ政権の末期近くには州商務省が、トヨタの発表以来25の自動車関連製造業の工場が17の郡に建設されたと報告した。 1987年、コリンズはフォード・モーターに、ルイビルのトラック組立工場を拡張するならば、インセンティブとして1,000万ドルを出す用意があると約束した。国内外の企業を誘致したコリンズの経済開発計画の下に、ケンタッキー州は記録破りの経済成長を果たした。州内の失業率は1983年10月の9.7%から1987年10月の7.2%まで下がった。内閣自身の数字では、コリンズ政権のときに州内で雇用機会を73,000人分純増させた。
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