トゥアレグ反乱
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「マリ北部紛争 (2012年)」の記事における「トゥアレグ反乱」の解説
2012年1月17日、アザワド解放民族運動(英語版)(MNLA)は北部マリのメナカ(fr:Ménaka)に駐屯するマリ軍部隊を攻撃する。1月18日、MNLA戦闘員はアゲルホク(fr:Aguel'hoc)とテッサリト(fr:Tessalit)の駐屯地を攻撃する。2012年1月19日から20日夜にかけて、フランス通信社が伝えるところによるとマリ軍はMNLAに襲撃された3つの町を奪還する。1月24日、イヤド・アグ・ガリー率いるアンサール・アッ=ディーンの協力を得てMNLAは攻撃を再開し、アゲルホク、オンドラムブーカーヌ(fr:Andéramboukane)およびレレー(fr:Léré (Mali))を襲撃。反政府勢力はアゲルホクを奪取する。伝えられるところによれば、MNLAとイスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構(AQIM)は初めての協同攻撃をした。1月26日、反政府勢力はニジェール国境に近いオンドラムブーカーヌを、その後モーリタニア国境近くのレレーにある軍宿営地を攻撃する。1月31日、ニアフンケ(fr:Niafunké)で激しい戦闘が起きる。 2月3日夜から4日未明、キダルでは反政府勢力が重火器を使用したとみられ、町の支配権を奪取しようとする。2月4日、マリ政府と変革のための5月23日民主同盟(fr:Alliance démocratique du 23 mai pour le changement)は共同でアルジェから停戦を求める緊急声明を発したが、MNLAのビラル・アグ・アチェリフ事務局長はアルジェリアの新聞「エル・カバル(fr:El Khabar (Algérie))」のインタビューで停戦の呼びかけを拒否すると語る。2月6日、反政府勢力はテッサリトの住民約4,000人を紛争被害から守るためアバムコ(Abamco)、サヴォアク(Savohak)エファリ(Efali:Terist、テリスト)およびアッソワ(Assowa)に設けられたブッシュキャンプに避難させるが、2月7日に赤十字は衛生状態の悪化に懸念を表明する。2月7日にMNLAは早朝にティンザワテン(fr:Tinzawatène)にある軍の検問所を攻撃する。ここはアルジェリア国境まで数キロメートルの位置にあった。マリ軍はこの攻撃を撃退する。しかし2月8日、戦闘から2日後にティンザワテンを占拠する。2月10日、マリ軍はキダルから15キロメートル離れた場所にて反政府勢力に対してヘリコプター5機を投入して反撃に出る。2月11日、MNLAはキダルとアネフィフからテッサリト方向へ移動していたアルアジ・アグ・ガモウ大佐(Alhaji Ag Gamou)指揮下のマリ軍車列をタンサラーヌ(Tinsalane)にて待ち伏せした。2月12日、マリ軍はレレーを奪還する。2月13日から14日にかけてテッサリトから数キロメートルの場所にてMNLAとマリ軍増援部隊との間で激戦が繰り広げられる。 2月15日から16日にかけてテッサリトではマリ軍と反政府勢力との間で戦闘が続く。2月15日、反政府勢力はレレーへの攻撃を再開し、マリ軍はナンパラ(fr:Nampala)方向へ後退する。2月18日、MNLA戦闘員達はモプティ州内の2ヶ所に対し攻撃を開始する。オンボリ(fr:Hombori)では憲兵隊を襲撃し略奪や破壊に走る。ユーワルー(fr:Youwarou)において、MNLAは国家警備隊の兵士を排除し、電話網を妨害し村を襲撃する。2月29日、テッサリト周辺にてMNLAの攻撃が再開されマリ軍は応戦する。2012年3月1日、マリ軍はMNLAが配置する幾つかの陣地に対してヘリコプターを投入して襲撃する。戦闘は3月3日土曜日から3月4日日曜日まで行われた。 3月10日夜から11日未明にかけてMNLAはテッサリトの軍宿営地を占領する。マリの国防・退役軍人大臣は繰り返される攻撃について声明を述べ「アザワド解放民族運動の構成はAQMI、アンサール・アッ=ディーンをはじめ多様な背景を伴っており、援軍として訪れた麻薬密売人も含まれる」。また、軍命令の決定に基づき「テッサリトの一時避難キャンプ」と「他の衛戍地への避難車列や民間人保護の組織化」がなされる。MNLAの幹部ベイヤ・アグ・ディナン(Baye Ag Diknan)がRFIに語ったところによると「連続攻撃の後に駐屯地を奪取した」とし、MNLAは約600人の戦闘員を雇った。MNLAは戦死したマリ軍兵士について見積もりを出し、若干のマリ軍兵士とその家族は捕虜となった。そして、軍の装備(迫撃砲、ロケットランチャー、機関銃および装甲車)が回収された。 2012年3月18日、アンサール・アッ=ディーンは動き出しアゲルホクとテッサリトを対象にシャリーアの適用を宣言する。3月20日、アンサール・アッ=ディーンは支配しているイフォガス山地から声明を出し、マリの北東ティンザワテン、テッサリトおよびアゲルホクを占領し、110人のマリ軍人と文民を捕虜にしており、マリ・イスラム高等評議会を開催すると発表する。アンサール・アッ=ディーンはティンザワテンの支配権について述べ、以前まではMNLAがいたが2月8日に奪ったとしている。
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