デハ3150形とは? わかりやすく解説

デハ3150形(→クハ3220形)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 10:21 UTC 版)

東急3000系電車 (初代)」の記事における「デハ3150形(→クハ3220形)」の解説

当初目黒蒲田電鉄デハ200形 (201 - 206) で、大井町線開業用に1927年川崎造船所で6両が製造された。デハ100形同様の両運転台3扉の半鋼製車であるが、全長が17mに伸び定員120名(座席44名、立席76名)に増加した。 本形式は、川崎造船所昭和初期製造した「川造形電車」の一つである。川崎造船所1926年阪神急行電鉄(現・阪急電鉄600形電車以降リベットの多い車体と深い屋根魚腹台枠などの共通した特徴備える16mから17m級の重厚な全鋼電車を、西武鉄道長野電鉄などいくつかの私鉄向け1929年頃まで生産した。これらを指す鉄道ファン間での分類用語が「川造形電車」である。 目蒲場合開業時導入されデハ1形が、阪急創始者小林一三進言当時箕面有馬電気軌道阪急宝塚線ほかの前身)に在籍した小型車コピー的形態を採っていた例があり、院電中古車目蒲経由して阪神急行転出したととあわせ開業まもない頃の目黒蒲田電鉄における、阪急影響力が伺われる。 1929年204 - 206東横譲渡され同年203は「3」が「惨」に通じるとして忌み番回避のため200改番された。モハ200形への改形式経て全車東急引き継がれ、デハ3150形 (3151 - 3156) となった。3152と3154は戦災遭い1947年クハ3220形 (3223, 3224) として復旧クハ3220形の2両はこの復旧時に片運転台、全室運転室化され配置はd1D5D5D2(d:乗務員扉、D:客用扉)となった。だが全室構造になったとはいえ運転台狭く1954年車体交換し後述するがクハ3223はデハ3552に、クハ3224はサハ3361とされた。残った4両も1953年から1954年にかけて片運転台、全室運転室化されたが、こちらは窓配置も1段窓を除けば後続デハ3400以降同様なd1D4D4D2のいわゆる関東型配置1930年代から1950年代関東私鉄典型的に見られ通勤電車ドア・窓配置レイアウト)となり、運転台奥行1,100mm余裕のあるものとなったサハ3360形3361号に台車を提供後のクハ3220形3224号の車体については、しばらく元住吉構内詰所として使用されていた。ところが1958年碑文谷工場で加修の上上田丸子電鉄譲渡された。上田では旧伊那電気鉄道木造クハ260形261の鋼体化に充てられ、クハ270形271となった1969年廃止されるまで丸子線使用されていた。 残るデハ3150形4両は1957年直流1,500Vへの架線電圧昇圧経て主に池上線運用され1966年から翌年にかけて近江鉄道および熊本電気鉄道譲渡された。

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