デハ3200形(→クハ3220形)
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「東急3000系電車 (初代)」の記事における「デハ3200形(→クハ3220形)」の解説
当初は目黒蒲田電鉄のデハ300形 (301 - 305) およびクハ1形 (1 - 5) で、デハ200形の増備車として1927年に川崎造船所で製造された。デハ200形の主電動機出力が75HPであったのに対し、本形式は速度向上と将来の昇圧を見据えて100HPとされた。主電動機の大型化により台車の軸距が200mm伸びているが、車体関係は同一である。 1928年にクハ5が電装されデハ306となり、東横に譲渡された。残るクハ1 - 4も1930年に電装され、モハ311 - 315(313欠)となった。デハ200形と同様に「3」を忌み番としたため、1929年頃に303を続番の307に改番している。全車が東急に引き継がれデハ3200形 (3201 - 3210) となった。3203と3206は戦災に遭い、1947年にクハ3220形 (3221, 3222) として復旧、主に池上線で使用された。クハ3220形はこの復旧時に片運転台、全室運転室化され窓配置はd1D5D5D2となった。だが全室構造とはいえ依然として狭く、復旧車でもあることから1953 - 1954年に車体を交換し、後述するがクハ3221はデハ3551に、クハ3222はサハ3362とされた。 サハ3360形3362号に台車を提供した後の3222号の余剰車体は碑文谷工場で詰所として使用されていたが、1958年にクハ3224と同様に再生工事が実施されて上田丸子電鉄に譲渡された。旧伊那電の木造車モハ5260形 (5261) の鋼体化改造に充てられモハ5270形5271となり、1969年の廃止まで丸子線で使用されていた。 残るデハ3200形は1954年から1955年にデハ3150形同様の全室片運転台化改造を行い窓配置は3150形と同様にd1D4D4D2となり、1957年から1958年には昇圧工事がなされた。主にサハ3100、3350形を中間に挟んだ3連を組み、末期には池上線で運用されていた。デハ3204は1969年に荷物車デワ3042に改造された。残りは1968年から1970年までに廃車となり、3209と3210が日立製作所に、3202が東急車輛製造に譲渡されている。
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