デカルトにおいて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 15:47 UTC 版)
「ルネ・デカルト」も参照 17世紀の前半にルネ・デカルト(1596年 - 1650年)がより近代的で、唯物論的な概念としてコナトゥスを発展させた。彼はコナトゥスを「神の力を表している、物質が動こうとする積極的な力もしくは傾向」として表現した。古代の人々がこの言葉を厳密に擬人的な意味ではっきりした目的を達成しようとする「努力」と同様に使い、中世のスコラ学者が「コナトゥス」の概念を発展させて物の持つ神秘的で本質的な特性であるとしたのに反して、デカルトは彼らより幾分機械論的な意味でこの言葉を使った。もっとはっきり言うと、ビュリダンとは対照的にデカルトにとっては、運動と静止は同じ物の二つの状態に過ぎず、異なる物ではなかった。デカルトの「コナトゥス」に対する考えはとても曖昧ではあったが、自然に対する欲望や傾向の働きから離れた運動や、より科学的で近代的な考え方へ向かう運動の働きの始まりをここに見出すことができる。 アリストテレスの時代から西洋で支配的であった物質的世界を目的論的、あるいは合目的的にとらえる考え方をデカルトは否定した。デカルトは心を物質的世界の一部だとみなしておらず、そのため心は自然の厳密に機械論的な法則の対象ではない。一方、運動と静止は永久不変の機械論的法則による物体の相互作用の対象物である。神は初め、物体を始動させるのみで、 そののちは物体の機械的運動の動的秩序を保つ以外に干渉しない。そのため、全てのものは法則に支配された衝突や不断の再構成を行うばかりで、物体の運動には本当の目的など存在しない。コナトゥスは物体が互いに衝突する際の運動の傾向にすぎない。神がこの活動を始動させるが、その後は「新しい」運動も静止も創造されるはずがない。 デカルトは「コナトゥス」には二種類、「コナトゥス・ア・ケントロ(conatus a centro)」と「コナトゥス・レケデンディ(conatus recedendi)」があることを明記した。「コナトゥス・ア・ケントロ」、つまり「中心に向かう傾向」はデカルトが重力の理論で使った。「コナトゥス・レケデンディ」、つまり「中心から離れていく傾向」は遠心力を表した。これらの傾向は、生物の性質や意図を表す言葉でもなければ、物の「力」の固有の特性として考えられたのでもなく、むしろ、神が授けた物理的宇宙それ自体の統一的・外的な特徴として考えられた。 デカルトは、自身の自然の第一法則を発展させる際、「コナトゥス・モウェンディ」、つまり自己保存の「コナトゥス」の概念も引き起こした。この法則は慣性の法則を一般化したもので、以前にガリレオによって経験的に説明され、発展させられていた。この原理はデカルトの死から50年後にアイザック・ニュートンによって定式化され、彼の3つの運動の法則のうちの第一のものとされた。デカルトによる定式化はこうである: 「それぞれのものは、静止している限りではその状態にずっと留まっている。また一旦動き出せば、ずっと動き続ける」。
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