デカルト主義批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 16:37 UTC 版)
「チャールズ・サンダース・パース」の記事における「デカルト主義批判」の解説
パースは、1868年にJournal of Speculative Philosophyに掲載された論文「人間に備わっているとされるいくつかの能力に関する疑問」において、当時様々な形で広く普及していたデカルト哲学を批判している。 パースのデカルト主義批判の要は、後者が「直観」(intuition) に訴えるという点である。直観というのは、直前の認識によって決定されないような認識、言い換えれば「前提なき結論」である。ここでパースの議論において重要なのは、絶対的に不可知なものの概念は自己矛盾であるという点である。どのような特定の思考についても、それから独立のものを考えることできる。というのも、そうでなければ認知的誤謬の可能性がないことになってしまうからである。しかし思考一般から独立のものを考えることはできない。なぜなら、あるものを「思考一般から独立」なものとして思考することは、やはりそれを思考することであるからである。ゆえに「絶対的に不可知なもの」の概念も思考可能であるが、そうするとこれは「A、非A」という形式の概念になってしまい、矛盾概念である。ここからパースは、「(最も広い意味における)認識可能性 (cognizability) と存在 (being) は、形而上学的に同じであるばかりでなく、同義的な用語である」という結論を引き出している。したがってカントの物自体のような概念は斥けられなければならない。 さて、直観というのは直前の認識によって決定されないような認識であった。しかしある認識を説明できるのは、それに先行する認識を提示することによってである。ゆえに、直前の認識によって決定されないような認識は絶対的に説明不可能ということになる。しかし上で見たように、絶対的に不可知なものの概念は自己矛盾である。ゆえに直観の能力の存在を仮定することは、矛盾概念を含意する。したがってそのような能力は存在しないと考えるべきである。 同じく1868年にJournal of Speculative Philosophyに掲載された「四能力の否定の諸帰結」の冒頭においてパースは、自分が「人間に備わっているとされるいくつかの能力に関する疑問」において行ったデカルト主義批判を次の4点にまとめている: 我々には内観の能力はなく、内的世界に関する我々の知識はすべて、外的事実に関する我々の知識からの仮説的推論に由来する。 我々には直観の能力はなく、すべての認識は先行する認識によって論理的に決定される。 我々は記号を用いずに思考することはできない。 我々は絶対的に不可知なものの概念を持つことはできない。
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