タレントデビュー後
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1993年、OOPARTS所属と同時に、鈴井の経営する芸能プロダクション・CREATIVE OFFICE CUEに加入し、ローカルタレントとして活動を始める。鈴井が担当する『週刊Nanだ!Canだ!』(HTB)のコーナー企画でテレビ番組に初出演。9月には、石屋製菓の白い恋人のCM(千歳空港デュエット篇)にも出演。 1996年、森崎と自身の卒業公演のために演劇研究会の後輩である大泉洋、佐藤重幸(現・戸次重幸)、音尾琢真と共に演劇ユニット「TEAM-NACS」を結成し、1回限りの公演で解散。また、この年公開の『ガメラ2 レギオン襲来』に冒頭で隕石落下の急報を伝える自衛隊員役で映画初出演する。 大学卒業後に総合病院内の歯科に医療事務員として就職するが、芸能活動に専念するということで、入社10か月で退職。辞めた理由は、役者になろうという強い思いを持って辞めたというのではなく、仕事が向いてないと思い、職場にもなじめずにいたため、芝居を口実に職場から逃げるためだったと後に回想している。退職後に元上司から「信頼は一度失うと決して戻ってはきません。あなたがこれからどういう道に進むか分かりませんが、人の信頼を裏切るようなことは今後しないでください。ご活躍をお祈りしております」という文面の年賀状が届いたことでで意識が変わったという。 退職後は、芸能活動をしながらホテルの朝食バイキング等のアルバイトをしていた。アルバイトをしなければいけなかったことから、『水曜どうでしょう』の「シェフ大泉 車内でクリスマス・パーティー」では泥酔した状態で、事務所の社長(当時)であった鈴井貴之に対し、「いや実際問題ね、この社長んとこじゃ食えないんですよ」と不満を吐いていた。 1997年、森崎が自身と同様に会社を退職し、東京から北海道に戻ったことをきっかけに、TEAM-NACSを再結成する。 1998年、所属していたOOPARTSが2月に完全消滅した後、その年の春に、同じくOOPARTSに所属していた長谷川首司、金山幸意の2人と共に劇団upspeakを結成する。1998年12月には初公演も開催し、副主宰として出演だけではなく、作・演出もして活動するが、自身の東京進出や仲間の離脱により、2003年に劇団は活動停止となり、実質解散となっている。 また、1998年からは、大泉がレギュラーで出演していた北海道テレビ(HTB)の深夜バラエティ番組『水曜どうでしょう』に、同局のマスコットキャラクター「onちゃん」のスーツアクター として準レギュラー出演する。 2001年には、鈴井貴之監督の映画『man-hole』で初主演を果たす。 2004年5月にTEAM-NACSの第10回公演として行われた舞台「LOOSER〜失い続けてしまうアルバム〜」のサンシャイン劇場での東京公演で東京に初進出。2004年12月には、大手芸能事務所であるアミューズと業務提携を行い、その後は、道内の仕事はCREATIVE OFFICE CUE、道外の仕事はアミューズが手掛ける形となる。 2006年の『次郎長 背負い富士』(NHK)にて、全国ネットの連続ドラマに初出演。その後は、TEAM NACS共々全国に名が知られ、NHKの大河ドラマ・連続テレビ小説や、東京キー局の連続ドラマ、映画にも出演し、主演も務めるなど、東京での仕事もこなすようになっている。トランスジェンダーや変態、宇宙人など奇抜な役や、ヤクザや刑事、医師などの硬派な役、小市民的な普通の人など、変幻自在に幅広い役を演じている。
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