スペイン継承戦争以降の時代
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「海賊の黄金時代」の記事における「スペイン継承戦争以降の時代」の解説
スペイン継承戦争(新世界ではアン女王戦争)は1713年から1714年にかけて平和条約が締結されて終結した。これにともない、イギリスの非正規戦闘員だった私掠船員は軍務を解かれた。その結果、本国・植民地間の交易がふたたび活発になりはじめた大西洋上に、数千の仕事を失った訓練済みの水兵が放り出された。さらに、本国で職を失い、船乗りや兵士になって奴隷取引に手を出していたヨーロッパ諸国のならず者たちもしばしば喜んで海賊に転じた。彼らは西アフリカの海域や沿岸で活動する海賊船長に長年にわたって新しい人員を供給した。 1715年、フロリダ付近で沈没船から銀を回収しようとしていたスペイン人潜水員が海賊によって大規模な襲撃を受けた。この略奪に参加した海賊のうち、一番数が多かったのは元私掠船乗組員のイギリス人の一団で、彼らの全員が後に悪名を馳せることになる。ヘンリー・ジェニングス、チャールズ・ヴェイン、サミュエル・ベラミー、エドワード・イングランドである。攻撃は成功したが、ジェニングス一味の期待に反してジャマイカ総督は彼らの上陸を拒否した。一味はそのときキングストン(現在のジャマイカの首都)や当時没落しつつあったポートロイヤルの近くにいたが、代わりに戦時中に放棄されていたニュープロビデンス島のナッソー(現在のバハマの首都)に新しい海賊の基地を建設することにした。3年後に元私掠船長ウッズ・ロジャーズが総督として到着するまで、ナッソーは多くのなりたての海賊の拠点になった。 この時代に海賊の狙い目となったのは、アフリカ、カリブ海、そしてヨーロッパ間で急増した海運取引、いわゆる三角貿易に従事する商船である。三角貿易では、まずヨーロッパからアフリカ沿岸へ航行し、工業品や武器を奴隷と交換する。次に奴隷を売りにカリブ海へ向かい、砂糖やタバコやカカオを積んでヨーロッパへ帰っていく。もうひとつの三角貿易(砂糖貿易)では、まずニューイングランドの農産物や保存食のタラをカリブ海に運び、砂糖や糖蜜と交換する。それらをイギリスへ運び、工業製品やラム酒と交換し、ニューイングランドへ向かう。どちらの三角貿易も一つの地点を通過するたびに利鞘が発生した。 戦争の結果、イギリスはアシエント(スペイン植民地での奴隷供給権)を獲得した。これにより、それまで閉じられていた新大陸のスペイン市場にイギリスの商船や密輸船が介入していった。また、この協約は西大西洋の海賊行為の拡大にも大きく貢献した。戦争後に仕事を失った海兵が溢れたことも、植民地の取引の急速な拡大を促した。船主は労働力の供給過剰を盾に船乗りの賃金を切り詰め、可能な限り節約して利益を最大化しようとした。これにより船上は劣悪な環境に陥り、乗組員は運ばれる奴隷と同じかそれ以上に非人道的な待遇を受けたという。あまりに過酷な環境だったため、多くの船乗りが自由な海賊稼業に手を染めるようになっていった。
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