スペイン継承戦争以降の時代とは? わかりやすく解説

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スペイン継承戦争以降の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 08:19 UTC 版)

海賊の黄金時代」の記事における「スペイン継承戦争以降の時代」の解説

スペイン継承戦争新世界ではアン女王戦争)は1713年から1714年にかけて平和条約締結され終結したこれにともないイギリス非正規戦闘員だった私掠船員は軍務解かれた。その結果本国植民地間の交易がふたたび活発になりはじめた大西洋上に、数千仕事失った訓練済み水兵放り出された。さらに、本国で職を失い船乗り兵士になって奴隷取引手を出していたヨーロッパ諸国ならず者たちもしばしば喜んで海賊転じた。彼らは西アフリカ海域沿岸活動する海賊船長に長年わたって新し人員供給した1715年フロリダ付近沈没船から銀を回収しようとしていたスペイン人潜水員が海賊によって大規模な襲撃受けた。この略奪参加した海賊のうち、一番数多かったのは元私掠船乗組員イギリス人一団で、彼らの全員が後に悪名を馳せることになる。ヘンリー・ジェニングスチャールズ・ヴェインサミュエル・ベラミーエドワード・イングランドである。攻撃成功したが、ジェニングス一味期待反してジャマイカ総督は彼らの上陸を拒否した一味そのときキングストン現在のジャマイカ首都)や当時没落しつつあったポートロイヤル近くにいたが、代わりに戦時中放棄されていたニュープロビデンス島ナッソー現在のバハマ首都)に新し海賊基地建設することにした。3年後に元私掠船ウッズ・ロジャーズ総督として到着するまで、ナッソー多くなりたて海賊拠点になった。 この時代海賊狙い目となったのは、アフリカカリブ海、そしてヨーロッパ間で急増した海運取引いわゆる三角貿易従事する商船である。三角貿易では、まずヨーロッパからアフリカ沿岸航行し工業品武器奴隷交換する次に奴隷売りカリブ海向かい砂糖タバコカカオ積んでヨーロッパへ帰っていく。もうひとつ三角貿易砂糖貿易)では、まずニューイングランド農産物保存食タラカリブ海運び砂糖糖蜜交換する。それらをイギリスへ運び工業製品ラム酒交換しニューイングランドへ向かう。どちらの三角貿易も一つ地点通過するたびに利鞘発生した戦争の結果イギリスアシエントスペイン植民地での奴隷供給)を獲得した。これにより、それまで閉じられていた新大陸スペイン市場イギリス商船密輸船が介入していった。また、この協約西大西洋海賊行為拡大にも大きく貢献した戦争後仕事失った海兵溢れたことも、植民地取引急速な拡大促した船主労働力供給過剰を盾に船乗り賃金切り詰め可能な限り節約して利益最大化ようとした。これにより船上劣悪な環境に陥り、乗組員運ばれる奴隷と同じかそれ以上非人道的待遇受けたという。あまりに過酷な環境だったため、多く船乗り自由な海賊稼業手を染めるようになっていった。

※この「スペイン継承戦争以降の時代」の解説は、「海賊の黄金時代」の解説の一部です。
「スペイン継承戦争以降の時代」を含む「海賊の黄金時代」の記事については、「海賊の黄金時代」の概要を参照ください。

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