スペイン継承戦争まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 14:30 UTC 版)
「ジョン・ダルリンプル (第2代ステア伯爵)」の記事における「スペイン継承戦争まで」の解説
第2代ステア子爵ジョン・ダルリンプル(後の初代ステア伯爵)とエリザベス・ダルリンプル(旧姓ダンダス)の息子として生まれた。1682年4月に銃の事故で誤って兄弟を殺害してしまった後オランダに移り、ライデン大学に入学した。大同盟戦争でアンガス伯爵連隊(英語版)に志願兵として従軍、1692年8月のステーンケルケの戦いに参加した。ステーンケルケでの戦闘では戦列が大砲に崩されたとき、彼は連隊の陣容を何度も整え直した。1695年に父がステア子爵位を継承すると、彼はステアのマスター(英語版)(爵位の推定相続人)になった。 1702年5月12日、近衛歩兵第3連隊の中佐に任命され、マールバラ公爵とともにスペイン継承戦争に参戦、同年8月のピールの戦いと9月のフェンローの戦いに参加した。フェンローではヘッセン=カッセル方伯子フリードリヒの命を救った。 1703年に父が初代ステア伯爵に叙されると、彼はダルリンプル子爵の儀礼称号を得た。1706年1月にアンガス伯爵連隊の隊長の任命された後、5月にラミイの戦いに参戦、1週間後の6月1日に准将に昇進した。続いて8月24日にスコッツ第4竜騎兵連隊(英語版)の隊長になり、1707年1月に父が亡くなって第2代ステア伯爵になった。同年に成立したグレートブリテン議会(英語版)では16人のスコットランド貴族代表議員の1人に選出された。 1708年7月のアウデナールデの戦いと同年秋のリール包囲戦で一旅団を率い、翌年の元日に少将に昇進した後、9月のマルプラケの戦いで再び一旅団を指揮した。1709年冬、マールバラ公は彼を外交官としてポーランド王アウグスト2世のもとに派遣した。その後、彼は西欧に戻り、1710年4月のドゥーエー包囲戦に間に合った。同年6月1日には中将に昇進、1711年8月のブシャン包囲戦にも参加した。同年、シッスル勲章を授与された。 1712年4月、フランドル地方へ派遣され、1714年4月9日に黒竜騎兵連隊(英語版)の隊長に任命された。
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